“審判劇場”と化すプロ野球 巨人×阪神「誤審騒動」から見るスポーツの境界線

“ヒール”としての審判と制度

「翌3日の試合、今度は巨人側の攻撃の際にホームできわどいプレーがあり、アウトが宣告されました。
しかし、阿部監督はリクエストを行使せず、この1点が響いてチームはサヨナラ負けを喫しました」(スポーツ紙記者)

この阿部監督の「躊躇」こそ、審判制度における心理的圧力の存在を象徴しているといえる。

だが一方で、観客の視点からすれば、これは最高にドラマチックな展開とも言える。

阿部監督の怒りと葛藤、リクエストを巡る決断、そして敗北。こうした一連の流れは、まるで演劇におけるヒーローとヒールのやり取りのように展開されていく。

そして今回のヒール役は、審判であり、リクエスト制度そのものだ。

現代のプロ野球において、誤審のたびにソーシャルメディアが炎上し、YouTubeが盛り上がるのは、それがただの判定ではなく、物語のトリガーとなっているからに他ならない。

審判の絶対権力はもはや通用しない。しかし「リクエストでひっくり返る判定」は、それ以上に人々の想像力と怒りと熱狂を煽っていく。

むろん、審判や判定の質を上げる努力は必要である。

しかし、いつの間にか「判定そのものが話題になる」ことを前提にした試合運営になってはいないだろうか。

NPBやメディア、SNSユーザーが、“審判劇場”の演出家になりつつあるだろう。

プロ野球は今、ただ勝敗を決めるための競技ではなく、“物語を作る場”として進化している。

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