Xで叫ぶ“日本人ファースト”のパラドックス グローバル資本主義に寄生するナショナリズムの現在

ナショナリズムの地盤を見よ 

「あなたの“日本製”思想は、どこのサーバーに保存されていますか?」

もしそう問われたとき、「Xで日本人ファーストって言って何が悪いの?」とだけ返すのでは、思考停止と言わざるを得ない。

むしろ、グローバル空間でナショナリズムを叫ぶことは、自らの立場を戦略的に組み直すチャンスでもある。

たとえば、「GAFAの言論空間を使って、いかにローカルな文化や利益を守れるか」という問いに変換していくべきなのだ。

ナショナリズムとは、単に「内を守ること」ではなく、「外とどう付き合うか」をめぐる政治的選択である。

当たり前だが「日本人ファースト」は、言ってはいけない言葉ではない。

だが、その言葉が飛び交う空間、流通する経路、エンゲージメントされる装置がすべて“非日本的”であるという構造的事実を、自覚することがまず第一歩だ。

グローバル資本主義に寄生して成立するナショナリズム。それは、21世紀における「当たり前」の姿なのかもしれない。

ただしその当たり前は、一度は問い直されるべきパラドックスでもあるだろう。

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