「空白の一日」で巨人から移籍 阪神に人生を翻弄された小林繁の物語

巨人戦8連勝を記録するが…

移籍1年目の小林は自己最多となる22勝を挙げ、沢村賞を獲得するなど鬼気迫る活躍をみせた。

特に、因縁の巨人戦では8連勝を記録。まさに「男の意地」を見たような気がした。

変則フォームのアンダースローから繰り出す速球で押す投球は阪神ファンを熱狂させた。

小林の形態模写で脚光を浴びたデビュー間もない明石家さんまが、シングルレコード『Mr.アンダースロー』(1979年)をリリースしたのもよく知られた話だ。

2年目以降はグラウンドでの活躍とは裏腹に、小林の野球への情熱は急速に冷めていったようだ。

毎年2桁勝利を挙げてはいたが、熱狂的な阪神ファンやマスコミからのプレッシャーの中で、精神はボロボロに削られていったはずだ。

巨人時代は酒をほとんど飲まなかったそうだが、阪神に来てからはブランデーを浴びるように飲み、夜の街に繰り出すようになった。シングル『亜紀子』で歌手デビューしたのもこの頃だ。

さらに言えば、筆者と違い、小林は女性によくモテた。藤圭子、片平なぎさ、小柳ルミ子、中森明菜らとの関係が報じられるなどアイドル顔負けの浮名を流した。

小林は社会人時代の同僚女性と結婚していたが、阪神移籍後の1982年に離婚している。

この件について取材したところ、「借金が嫁さんにいかないようにした」と擬装離婚をほのめかす返答が返ってきたことを覚えている。

その真偽はともかく、離婚よりはるかに深刻だったのが、この借金問題だ。

移籍後の小林は副業に手を出すようになり、大阪・北新地の高級クラブや割烹、下関のふぐ料理といった飲食店に加え、いつしか不動産業まで営んでいた。

実は、小林にはトレードを受け入れる代わりに巨人から高額な補償金が支払われており、その額は5000万円とも2億円とも報じられた。小林はその金プラス、さらなる借金をして事業に注ぎ込んでいったのだ。