「ホソミの国」とは何なのか? 元横浜ベイスターズ“ドラ1”細見和史が考える日本の伝統と哲学

「野球がダメになっても生きていける力」が大事

細見和史
「映画にもなった『永遠の0』は御存じですか? あの作品と同じく、僕には父方の祖父が2人いて、父の本当の父親は沖縄戦で戦死しているんです。
僕がそれを知ったのは野球を辞めたずっと後のことでした。僕が何の不自由もなく野球ができていたことも、あの戦争で戦ってくれた人たちがいて、命をつないでくれたからです。
僕は自分のルーツを何も知りませんでした。いや、知ろうともしなかったんですね。これまでの自分を恥じましたよ」

細見はドラフト1位の元プロ野球選手である。彼の言葉には多くの人が耳を傾ける影響力が宿る。

ゆえに、伝えていかなければならないのだ。企業のビジネスマン相手に講演をすることもそう。日曜の朝に子どもたちが集まる小さなグラウンドも、友人たちと談笑するときだって、伝えられることはある。

「僕が今、目の前でやれることは野球の指導です。だけど、子どもたちには野球が上手くなればそれでいいという話じゃない。
野球がダメになってしまったときにでも生きていける力。それには野球技術云々より、子どもたちに“考えさせる”ことを大事にしたいんです。
君はどうしたいのか? どうなりたいのか? という問いかけはずっとしています。答えは与えない。自分で考えて、自分で決めてほしい。
そうしないと“生きる”ってことの意味も、自分の輪郭も見えてこないですから」

この国が育んできた“野球”というベースボールとはまた違った日本独自の伝統であり“心”。それを通じて日本という国を、生きるということを教える。その根っこにあるのは、「共に生きる」という感覚だ。

細見は彼らに、かつて自分が命懸けで追い求めた野球と、そこで得られた掛け替えのない経験や哲学を渡したいと願う。