蝶野正洋“石川県観光大使”に! 馳浩県知事は「トランプ大統領と一緒だよ(笑)」

蝶野正洋(C)週刊実話Web
週刊実話の人気連載「蝶野正洋の黒の履歴書」。今回のテーマは「馳浩県知事との“流血試合”裏側」。

馳センセイが「変なこと言うなよ」と目で訴えかけてきた

このたび、蝶野正洋は「石川県観光大使」を拝命した。

石川県庁で馳浩県知事から直々に委嘱状を受け取り、観光大使の肩書の入った名刺を渡されて「1カ月で100枚ぐらいは配ってください」と厳命されたよ。

そのとき「100枚なんて歓楽街を飲み歩いて、女の子に配り歩けばすぐだよ」と言いかけたけど、周りに地元のテレビ局や新聞社などがいたからか、馳センセイが「変なこと言うなよ」と目で訴えかけてきたのを感じて、グッと飲み込んだ。

馳センセイの立場はよく分かっている。ただ、顔を合わせると昔のノリで、お互いロクでもない話や冗談を言いたくなってしまうんだよ。

県庁の職員方もそれが分かっているから、ヒヤヒヤして見守っていたよ。

観光大使としての役割は、より多くの人に遊びにきてもらえるように、石川県の魅力や物産品をアピールすることになる。

馳センセイは「蝶野正洋と行く 絶景街道バスツアー」とか勝手に企画してたけど、これはマスコミの前でいきなりブチあげて既成事実を作るという、プロレスラーらしいやり口。アメリカのトランプ大統領と一緒だよ(笑)。

馳センセイは1990年、試合直後に心肺停止になってから、どこか吹っ切れた部分がある。

当時は俺も会場にいて、馳センセイがバックドロップを受けて意識朦朧のまま試合を終え、シャワーを浴びて体育館の裏を歩いていたら、突然ぶっ倒れた現場にも遭遇している。

運が良かったのは、試合を見に来ていた坂口(征二)さんの知り合いの警察関係者が、救急救命の資格を持っていたこと。その方の適切な応急処置で、馳センセイはすぐに息を吹き返した。

馳センセイは俺との思い出で、1994年に石川県金沢市でやったシングルマッチで、俺に血だるまにされたことを語った。