旧ジャニーズ性加害問題 V6メンバー候補だった男性が実名で被害告白 補償対象外に異議

「こんなステージ見たら普通の仕事できないよね」

1988年4月、越後氏が13歳のとき、雑誌を通じてジャニーズJr.の募集を知って応募。翌89年、ジャニー喜多川氏から自宅へ電話連絡を受ける。 

「オーディションに来られるか?」と聞かれたが、地方在住だったため断念。その際、「東京に来られるときは連絡してね」と言われ、連絡先の電話番号をメモしていた。 

アルバイトで上京費用を貯め、91年春、16歳の春休みに東京へ。都内の駅で待ち合わせし、車で迎えに来た喜多川氏と対面。ドライブ後、食事し、おもちゃ屋を経て「アークタワー」へ。そして、初めてジャニー氏邸へ訪問するのだった――。 

翌朝、越後氏とJr.の3人は喜多川氏に連れられ、横浜アリーナでのSMAPのコンサートへ赴く。 

「SMAPやゲストのTOKIOら、スーパースターが揃っている空間にいる自分が信じられずにいました。
リハーサルから見させてもらった感動や特別感は自分を奮い立たせましたし、昨夜の悪夢は一瞬でも忘れることができるくらいの魔力だったと今では思います。 
コンサートの本番は2階の席でジャニー喜多川ともう1人のジュニアと3人で見ました。
その時ジャニー喜多川は『こんな華々しいステージを見たら普通の仕事なんてできないよね』と言ったのも覚えています。むろん私もそれには同感でした」 

91年4月、ジャニー氏に誘われ、Jr.の一員として活動をスタートしたものの、東京にいられるのは春休みの期間のみ。地方へ帰宅する事になり、入所したものの、レッスンやステージに立つ経験はできなかった。

しかし、高校卒業後の93年に東京へ進学し、再び活動を開始する。94年にはテレビ局が開催するオーディションへ参加したが、結果は不合格だった。 

そして95年、21歳の夏、1人暮らしをしていた越後氏の自宅にジャニー氏から着信があった。 

「ユー、9月4日、ヴェルファーレ六本木に来なさい」