星野阪神「18年ぶり優勝」の影に長嶋茂雄さん 闘将による暗黒期からの改革舞台裏

「金本を取るには20億円必要」と談判

星野は「今岡(誠、現・真訪)、井川(慶)以外は全員がトレード要員だから覚悟しておくように」と宣言し、チームの3分の1を入れ替える大改革に着手する。

そこには阪神を強くするためにあらゆることをやるという悲壮な覚悟があった。

当時、星野は筆者にこう心情を吐露していた。

「俺は人を裏切ってまで自分がいい子になりたくはない。だが、今回ばかりは浩二を裏切ることになる」

星野は大親友・山本浩二が監督をしていた広島・金本知憲の獲得に動く決断をした。

金本自身は残留を本線にFA宣言するか悩んでいたが、星野は当の浩二からの「広島内での金本の立場は緒方(孝市)や前田(智徳)より低い5番手くらい」という情報を元にFA宣言すると読んだのだ。

例によって阪神フロントの腰は重かったが、ここからが球界政治の達人・星野の真骨頂だった。

マスコミを使って観測気球を上げつつ、親しかったサンスポ・U記者の助けを借りて久万オーナーの考えを探り、脈ありと知るや、「金本を取るには20億円必要だ。用意してほしい」と迫った。

もともと、中日の監督時代から、「阪神は金はあるんだ。出さないだけだ!」とみており、監督就任時にも「金を出さないと優勝はできませんよ」と通達していただけに、久万オーナーもうなずくしかなかった。

星野は同時にカープ一筋のベテラン記者から金本の性格や心理を詳しく聞き出している。

最後はわずか一本の電話で金本を口説き落とすことに成功した。

金本は「星野さんに騙されました」と笑っていたが、電話を受けた時点で外堀は完全に埋められており、NOとは言えない状況だった。

翌’03年、星野阪神はわずか2年で18年ぶりの優勝を成し遂げた。

久万オーナーは後に「星野の最大の貢献は金本を2億円で獲得したことだ」と語った。いかにも阪神らしい賛辞にニヤリとした星野の顔が目に浮かんだ。

【一部敬称略】

「週刊実話」6月26日・7月3日号より

阪神球団創設90周年ベンチ裏事件簿】アーカイブ

吉見健明

1946年生まれ。スポーツニッポン新聞社大阪本社報道部(プロ野球担当&副部長)を経てフリーに。法政一高で田淵幸一と正捕手を争い、法大野球部では田淵、山本浩二らと苦楽を共にした。スポニチ時代は“南海・野村監督解任”などスクープを連発した名物記者。『参謀』(森繁和著、講談社)プロデュース。著書多数。