掛布雅之と門田博光のトレードは実現していた!? 南海オーナーが囁いた「阪神は掛布を出すのかい?」

 

「掛布は阪神の監督にならなくてはダメだ」

阪神一筋を貫いた掛布は’88年に現役を引退するが、久万オーナーが健在だった阪神からは監督どころかコーチの声すら掛からなかった。

掛布の元には郷里の千葉ロッテをはじめ横浜や楽天からもオファーが届いたが、阪神にこだわる掛布はすべての誘いを断り、野球解説者を続けながら阪神からの誘いを待ち続けた。

この間、プライベートで借金騒動が浮上したこともあり、掛布は阪神監督をほぼ諦めかけていた。

ちなみに、掛布は借金騒動の週刊誌記事を筆者が書いたと誤解したようで、これ以降、深い話をすることができなくなってしまった。

’11年に久万オーナーが死去し、翌年、中村勝広が阪神GMに就任する。

以前から「掛布は阪神の監督にならなくてはダメだ」と言い続けてきた中村は周囲のあらゆる反対を押し切り『GM付き育成&打撃コーディネーター』というポストを新設して掛布を復帰(’13年)させた。

中村は筆者に「久万さんもいないし、いつまでも過去にこだわることはない。阪神の大功労者だし、監督をやらせたい」と本気で掛布監督を考えている胸の内を明かしていた。

中村がGM在任中に急逝したことで、掛布監督が幻となってしまったことは残念でならない。

掛布のタイガース愛は昔も今も変わっていない。

【一部敬称略】

「週刊実話」6月12日号より

阪神球団創設90周年ベンチ裏事件簿】アーカイブ

吉見健明

1946年生まれ。スポーツニッポン新聞社大阪本社報道部(プロ野球担当&副部長)を経てフリーに。法政一高で田淵幸一と正捕手を争い、法大野球部では田淵、山本浩二らと苦楽を共にした。スポニチ時代は“南海・野村監督解任”などスクープを連発した名物記者。『参謀』(森繁和著、講談社)プロデュース。著書多数。