掛布雅之と門田博光のトレードは実現していた!? 南海オーナーが囁いた「阪神は掛布を出すのかい?」

 

「南海は掛布と門田のトレードはOKなんですか?」

当時25歳の掛布は前年にホームラン王を獲得していたが、この年は開幕早々に半月板損傷のケガを負って成績は低迷。

新人王になったルーキーの岡田彰布が三塁手を望んだこともあって、担当記者たちの間でトレード話がささやかれていた。

その頃、筆者は巨人関連の取材で東京と行き来していたのだが、たまたま南海の川勝傳オーナーが東京・四谷の某料亭に来ることをキャッチして、トレードの真意を直撃した。

川勝オーナーには南海担当時代からよく取材をしており関係は良好で、料亭ではわざわざ玄関口まで出て来てくれた。

「南海は掛布と門田のトレードはOKなんですか?」

「吉見くん、本当に阪神は掛布を出すのかい?」

直撃の答えは肯定ではないが、否定でもなかった。

そこでデスクには「好感触でした」と伝えたところ、翌日の1面に「掛布・門田トレード」がデカデカと掲載されたのだ。

結論を先に言えば、トレードは成立しなかった。そのため記事は単なるトバシと言われたが、決してそうではない。

筆者は報道が先行してしまったため、話が潰れた典型だと思っている。

川勝オーナーへの感触だけでなく、阪神が掛布をどう見ていたのか、信ずるに足るだけの裏取り取材をした自信はあったからだ。

ある阪神の球団役員は「あらゆる球団や監督が『ウチに来い』と誘っているのに、なんで掛布は行かないんですかね?」と口にしていた。

阪神は掛布が自ら球団を離れてくれることを望んでいたのだ。

後年、掛布は「あのとき、球団から移籍の話があったら引退しようと決意していた」と阪神愛を語っている。

球団は掛布の阪神愛を見誤っていたわけだが、そのおかげで’85年の日本一があったとも言えるだろう。