タカアンドトシ結成30周年 北海道時代から大阪武者修行時代を振り返る「生放送で過激なことを言って失敗しました」

「とんねるずさんを目指してた」

──中学生からコンビを組んで、その後プロデビューを果たします。そのきっかけとは?
トシ「高校は別の学校に通ってたんですけど、どっちかの家に泊まっては、誰に見せるわけでもないのにショートコントや漫才を8ミリビデオで撮影してたんですよ。
そうしたら僕らが高校3年のとき、1994年に札幌に吉本興業ができたんです。太平サブローさんらが審査員だった『トミーズのよしもとのもと』というオーディション番組に腕試しで挑戦したのがきっかけです。
ネタ見せで初めて人前で漫才を披露したら、当時の札幌吉本の所長や番組のディレクターが笑い転げるくらいめちゃくちゃ笑うんですよ。
『君たち天才!』とか言いながら。でも、そのディレクターは後にめちゃくちゃ怖い人だと分かるんですけど(笑)」 

タカ「自信満々で、オーディション番組に臨んだら、僕らが一番ウケたんです。でも結果は落選。
ちょうどJリーグブームで、審査員が不合格ならイエローカードを出す方式だったんです。ウケたから1人くらいイエローカードを出したほうがいいと思ったんでしょうね。審査員全員がイエローカードを出しちゃって」 

トシ「その番組の次の回で合格して、チャンピオン大会でも僕らが総合優勝しましたね。それから月に1回の吉本のライブにも出させてもらい、高校卒業後すぐに吉本所属になりました」 

タカ「僕はとんねるずさんを目指してたから、東京の事務所に入りたい気持ちが強かったんです。最初は入る気がなかった。その頃、僕の中で吉本というと吉本新喜劇のイメージしかなかったし。
でも、吉本の所長から『卒業したら、うちに来ないか』と誘われて甘えが出ましたね。東京に出てもオーディションを受けて、食えるまでバイトしないとしないといけないじゃないですか。
それなら実家にいながらお笑いの仕事ができて、吉本も有名だからいいかなって。
後々、札幌で売れてから東京に進出すればいいかなとも考えたんです。それこそダウンタウンさんのように大阪を盛り上げて、東京に進出した例もあったので」 

トシ「高校を卒業した4月からすぐに先輩が司会する深夜番組に出させてもらったり、道産子芸人第1号として僕らと女の子のコンビの2組でライブ形式の番組に出演させてもらいましたね。
でも、ネタだけやってなんにもできないんですよ。なんとなくテレビで見る芸人さんの喋り方を真似てましたけど、恥ずかしすぎて今となっては見れないですね」 

タカ「他にも主婦層向けの情報番組にも出させてもらったんですけど、過激なことを言って失敗しました」 

トシ「午前中の情報番組なのに、コイツが男性器を生放送で言っちゃって。プロデューサーからめちゃくちゃ怒られましたよ」 

タカ「若いから面白いことやりたいと思ったんですけど、見てる人たちはそんなの求めてなくて」 

トシ「デビューした18歳のときにNGK(なんばグランド花月)に2カ月ほど武者修行に行ったこともあったんです。でも地獄のようにスベったんですよ(笑)。
札幌ではだいたいのところではウケたんですけど、NGKの観客1000人が持ち時間の10分シーンと静まり返って」 

タカ「今でこそ『M-1グランプリ』とかの影響でいろんな地域の漫才を見れるけど、当時は関西弁以外の漫才は聞く耳を持ってもらえなかったですね。お笑い鎖国的な感じがありました」