無名ながら29歳で初当選 海部俊樹の“弁舌”は何がすごかったのか?

29歳で代議士に初当選!

前出の作家・豊田行二が、こう続けてくれたものである。

「海部はここで、生涯の師となる三木の知遇を得た。同時に“女丈夫”の異名があった三木の睦子夫人にも、『俊樹ちゃん』と呼ばれてかわいがられていた。夫人に気に入られたことで、三木本人との紐帯感がより強まったようだ」

昭和33年3月、海部が仕えた河野が48歳の若さで急逝した。

その後、1期は河野の未亡人が継いだが、海部は昭和35年11月の衆院総選挙で地盤を譲られ、中選挙区制の<愛知3区>から出馬。

無名にもかかわらずその弁舌の清々しさも手伝って、初当選を果たすことになる。

時に、海部は29歳。昭和生まれの早稲田大学雄弁会出身者として、第1号となる代議士の誕生だった。

(本文中敬称略/この項つづく)

「週刊実話」5月29日号より

小林吉弥(こばやし・きちや)

政治評論家。早稲田大学卒。半世紀を超える永田町取材歴を通じて、抜群の確度を誇る政局・選挙分析に定評がある。最近刊に『田中角栄名言集』(幻冬舎)、『戦後総理36人の採点表』(ビジネス社)などがある。