追悼“ミスタータイガース”小山正明さん 阪神番記者が明かす「世紀のトレード」2つの事実

「棺まで持って行く話だ」

筆者は周辺取材で2つの事実を掴んだ。

1つは’62年の阪神対東映フライヤーズの日本シリーズ第7戦。先発した小山は9回まで0点に抑えた。

10回表に1点を失った小山はベンチでヘッドコーチの青田昇から「お疲れ~」と声を掛けられ、すぐにベンチから去り、鼻歌交じりに風呂に飛び込んでいた。

だが、ベンチでは監督の藤本定義が「小山はどこにいる!」と、続投させるつもりだったのだ。

藤本は小山の独自判断でベンチから去ったと誤解し、試合放棄とみなしたという。

小山は、ヘッドの青田からの指示によるものとは言わずに悪者になったのだ。

このことは今年2月に死去した吉田も当時の出来事を記憶していた。

2つ目は’62年9月、対大洋戦の試合前の練習中に三宅秀史選手(三塁手)がボールを目に当て再起不能になった事故だ。

その裏には、小山が悪ふざけして投げたボールが三宅の目に当たったのが真相というのだ。

この2つが原因で小山がトレードに出されたという信頼できる筋からの情報を筆者は入手した。

そして、小山本人にぶつけてみた。

「棺まで持って行く話だ。それがトレードの原因かはワシには分からない。聞いたことはないが、青田さんからの合図がなかったら風呂には入ってなかった。三宅にも悪いことをした。不可抗力だった」

阪神創設90周年の記念すべき年に90歳で息を引き取った小山もまた“ミスタータイガース”にふさわしい大投手だった。合掌。

【一部敬称略】

「週刊実話」5月29日号より

阪神球団創設90周年ベンチ裏事件簿】アーカイブ

吉見健明

1946年生まれ。スポーツニッポン新聞社大阪本社報道部(プロ野球担当&副部長)を経てフリーに。法政一高で田淵幸一と正捕手を争い、法大野球部では田淵、山本浩二らと苦楽を共にした。スポニチ時代は“南海・野村監督解任”などスクープを連発した名物記者。『参謀』(森繁和著、講談社)プロデュース。著書多数。