追悼“ミスタータイガース”小山正明さん 阪神番記者が明かす「世紀のトレード」2つの事実

「気の合うコーチとやる方が…」

ラウンジで飲み明かしたことも多々あった。

対横浜(大洋)との試合では池袋から朝方、小山を宿舎まで送ったこともあった。

小山とは10歳以上年が離れていても、お互い本音を漏らすまでに信頼関係を築いていた。

こんなことがあった。吉田監督は2年目から皆川睦雄を投手コーチにする意向を持っていた。

それを小山に伝えると、あっさりしたものだった。

「気の合うコーチとやる方が…」

もちろん、球団から小山にまだ伝えられていなかった情報だが、実に物分かりが良いというか、その潔さに筆者は改めて惚れ直したものだ。

小山は契約が1年残っていたため、残留する手はあった。

しかし、球団側が「残りの契約の1年間分は給料をそのまま支払う」と強硬だったので、素直に従ったようだ。

いずれにしても、契約を1年残しての投手コーチ交代だから、吉田が小山を切ったとして『小山解任』と、新聞紙上で記事にした記憶がある。

小山の現役選手時代の話でビックリしたこんなネタもある。

当時、阪神のエースだった村山は、遊撃手の吉田とは比べものにならないほど人気があった。

マスコミから2人は「犬猿の仲」と報じられていた。

そのエピソードとして、村山が力投する。名ショートの吉田が故意にトンネルする。村山はベンチ裏で泣いていた――嘘のような話だが、「2人はそれほどまでに仲が悪かった」と、ベンチで間近で見ていた小山から直接聞いて、筆者の中では噂が真実に変わった。

チームを2本柱で支えた村山と小山の仲もしかり。

小山はスター気取りで自分本意の村山にあまり良い感情を持っていなかった。

それは小山の言葉の端々から感じ取ることができた。

投手として明らかに村山(通算222勝)より実績が上でも、村山の人気は抜群で注目度も小山より上だった。

自らの方が村山より実力は上、実績も負けていない――小山の自負とプライドが、決して口にはしないものの、村山との距離を置く姿に如実に現れていた。

では、本題の「世紀のトレード」裏だ。なぜ、阪神は小山を放出したのか。