マリーンズ16年ぶり優勝が潰えた日に届いたDM――“野球考古学者”キタトシオは十数年の鬱憤を原稿へ叩きつけた

男の人生なんて嘘から出た実の連続である

12月、『川崎郷愁』と銘打ったベースボールマガジンは発売され、キタトシオはデビューを果たす。

原稿は編集部からの評判も良く、トシオは胸を撫で下ろした。

「皆さんに褒めていただき、これで役目を果たせたとホッとしていると『次回も頼むよ』と次の依頼が来た。そこから2カ月おき、1カ月おきと原稿を頼まれるようになって…まぁ、でも本業もあるし、いつ終わってもいいような、腰掛けだった感じは否めないです。

ただ、長い野球原稿を書いたのはこれが初めてじゃなかった。ベーマガの依頼が来る少し前、野球居酒屋でたまたま隣になった人が“純パの会(パ・リーグを愛するファンによる私設団体)”の事務局長で、話をするうちに会報誌に長い文章を寄稿するようになったんですよ。運もあったんですよね」

次の転機はすぐに訪れた。

「次回、川上哲治時代の巨人を特集するのですが、キタさんは『ドジャースの戦法』(1957年、アル・カンパニス著、内村祐之翻訳)を持っていますか? 解説をお願いしたいんです」

これまでクロニクルしか書いていなかったトシオに、川上V9時代の戦略の基盤となった『ドジャースの戦法』の解説の仕事が来た。

しかしトシオはこの戦術書を持っていなかった。調べると中古で1万5000円もしたが、迷いはなかった。

「もちろん、持っています」

男の人生なんて嘘から出た実の連続である。このトシオの覚悟が“野球好きの好事家”から“プロの書き手”への階段を上らせた。

発売した『ドジャースの戦法』は絶賛され、編集長は「これでキタトシオはひと皮むけた」と呟いたという言い伝えが残っている。