「豊田商事会長刺殺事件」に見る死の清算 巻き上げた巨額資金と事件の真相は闇に消えた――

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【豊田商事会長刺殺事件(2)】
今から40年前、日本列島を震撼させたのが、1985年6月に起きた「豊田商事会長刺殺事件」だ。
この事件は、空前絶後の詐欺商法で全国から金を巻き上げた一人の男が投資家たちの恨みを買い、衆人環視の中で惨殺された事件。加害者や殺害理由ははっきりしているものの、集めた莫大な金の行方や詐欺事件の真相が闇に消えた点では、未解決事件と言える。
バブル到来前夜の世間を震撼させた、金と欲に彩られた凶悪事件の全容とは――

【豊田商事会長刺殺事件(1)】

「そうだ。老後の資金を増やそうよ」

豊田商事は電話セールスで無差別に勧誘し、そこで脈ありと判断されると、今度はセールスマンが送り込まれる。セールスマンは懐に入り込むと、おもむろにこう切り出すのだ。

「そうだ。老後の資金を増やそうよ。絶対損しないから。僕が保証するんだから」

豊田商事は“本業”のためには金を湯水のように使った。

1983年4月には1万1000トンの豪華客船「ニューゆうとびあ丸」を貸し切って、会員500人を集め「トヨタ・ゴールド・フェスティバル」を開催。

ホール中央には純金のインゴットが600キロ=約20億円分が積み上げられ、四方をガードマンが固めた。

イベントには会員であれば参加費無料。岡田真澄の司会による三波春夫、千昌夫、ジュディ・オングらの豪華なステージが開催された。

無料とはいえ純金即売会には2億円の売り上げがあったという。なお、船上のインゴットはすべて町のメダル屋に1枚2000円で作らせた偽物だった。

マスコミが「年寄りを食い物にする悪徳商法」と糾弾

水野が刺殺された後、見つかった現金は、全国でわずかに970万円。数百キロ以上購入しているはずの金に至っては全部で200グラムしかなかったという。

その後、和歌山県の海岸で492キロの金塊が見つかったが、それはすべてメッキの施された偽物だった。

豊田商事は多数の関連会社を持っていたが、同じようにゴルフクラブ会員権を用いたペーパー商法を手掛けた鹿島商事や、資産価値がほとんどない屑ダイヤを資産にするよう高値で売りつけたベルギーダイアモンドなど、類似の詐欺事件を起こしていた。

むろん、会長の永野以外にも高給取りは何人もいたが、ほとんどが逃げ延びた。

社員の中には偽名を使い、住所も別住所で社員登録するなど、用意周到な者もいたという。 豊田商事の悪行は、81年ごろから一部のマスコミに詐欺まがい商法として問題視されており、83年7月には朝日新聞が実名で「年寄りを食い物にする悪徳商法」と糾弾。

これを受けて、それまで水面下にあった被害者の声が一気に世に溢れた。全国で民事訴訟が提起され、社員による恐喝事件やすでに多くの自殺者が出ていることも発覚した。

「わし一人で闘う方が楽や」

85年4月に鹿島商事の幹部が詐欺容疑で逮捕され、徐々に警察による豊田商事包囲網が敷かれつつあった6月16日には、永野はじめ役員らが大阪・中之島のロイヤルホテルに集まり今後の対応を協議した。

そこで水野はこう言ったという。

「うちの弁護士は腰が砕けた。警察が動くのは間違いないが、お前らはわしに指示されていただけで何も知らんと言えばいい。わし一人で闘う方が楽や。しかし、仕事だけは続けろ。自転車はこぎ続けなければ倒れるんだ」

すでに金塊を運用する利息の支払いが滞るようになり、解約しようにも自筆の署名の存在を理由に拒否したり、担当者が逃げ回ったり、これから預金が倍になるから、などとあの手この手で逃げ回った。

マスコミによる一大バッシングにより解約申し入れや問い合わせが殺到し、豊田商事は混乱を来していた。

そんな矢先の6月17日、豊田商事に対して外国為替管理法違反容疑による兵庫県警の強制捜査が行われ、永野も事情聴取を受けるに至った。

巻き上げた2000億円はどこに消えたのか?

「今日にも永野が逮捕されるらしい」

6月18日、大阪市北区にあった永野の自宅マンションにはマスコミが群がっていた。

永野は約1週間前から自室内に籠城しており、この日も部屋の中から一歩も外に出ない様子だった。

午後4時30分すぎ、詐欺被害者の元上司を名乗る男が張り込んでいたガードマンに面会を要求。

連絡を取るためにガードマンが階下に下りると、2人は被害者6人から「もう金はええ、永野をぶっ殺してくれ」と頼まれたと報道陣に語った。

そして2人は玄関横の窓を蹴破って中に入り、持っていた銃剣で永野を刺殺した。

こうして豊田商事事件の全貌は、集めた莫大な金とともに闇へと消えた。

週刊実話増刊『迷宮事件の真実』より