森永卓郎さん“コレクター”としての顔 人生を懸けて集めたお宝は13万点超「100年後に世界文化遺産になるかも」

手にしているのは、コマネチをするビートたけし人形。オークションなら、100万円の値が付くと言われている。
1年3カ月にわたる闘病の末、今年1月28日に逝去した経済アナリストの森永卓郎さん(享年67)。原発不明がんと闘いながらも、亡くなる直前まで日本のタブーに切り込み、現代社会に向けて多くの警鐘を鳴らしてきた。

『週刊実話』では17年の長きにわたり、コラム『経済“千夜一夜”物語』を連載していただき、4月25日にはコラムに加筆・修正を加えたベストセレクションとして『緊急出版 森永卓郎 絶体絶命の日本を救う最後の提言』が発売された。

また、一方で森永さんは自他ともに認めるコレクターとして知られ、ミニカーやグリコのおまけはもちろん、ペットボトルや消費者金融のポケットティッシュまで、人生を懸けてあらゆる“お宝”を集めてきた。

テレビやラジオで売れっ子になり、多忙を極める中でも収集癖はエスカレート。膨大なコレクションは私設博物館『B宝館』(埼玉県所沢市)に収蔵されており、同館の詳細は公式ホームページや交流サイト(SNS)で確認できる。

『週刊実話』では2013年に、森永さんの秘蔵コレクションを大特集している。当時の記事より一部抜粋、再編集してお届け。経済アナリストの時とはまた違う、森永さんの一面を知ってほしい。

「父親が僕のことを思って毎日1個ミニカーを買ってくれた」

最初に集め始めたのはミニカーだった。森永さんが小学校4年生のとき、昭和39年(1964年)に父親の仕事の関係で、オーストリアのウィーンに移り住んだことがきっかけだ。

同年は日本人の海外渡航が自由化された最初の年だった。

「その頃のウィーンは排他的な街でね。日本人だから随分とイジメられたんですよ。それで父親が僕のことを思って、毎日1個、ミニカーを買ってきてくれたんです。日本に帰ってきた頃には、1000台ぐらいのミニカーが集まりました」

帰国後も森永さんは、バイトでお金を貯めては全国の玩具店を巡り、珍しいミニカーを買いあさったという。