“竹下流”とは剛速球でなくチェンジ・オブ・ペース 森喜朗に「天才」と言わしめた竹下登のリーダーシップ

竹下登(首相官邸HPより)
永田町取材歴50年超の政治評論家・小林吉弥氏が「歴代総理とっておきの話」を初公開。今回は竹下登(下)。

関係者が証言「竹下さんの調整力の凄さを見た」

竹下登元首相の凄さは政策の実現に向けて、「政界のおしん」と呼ばれたようにひたすら我慢の姿勢で臨みながらも、最後はキッチリ“落としどころ”に落としてみせることであった。

例えば、竹下は第2次大平正芳内閣で大蔵大臣に就任すると、大平が目指した財政再建の柱としての新税、すなわち間接税の「一般消費税」導入に汗をかいていた。

しかし、新税導入には野党、国民から反対の声が強く、大平は衆参同日選挙の喧騒のさなか病に倒れ、その後の鈴木善幸、中曽根康弘内閣でもついに新税は実現しなかった。

この間、竹下はとくに中曽根内閣では4期連続で蔵相を務め、ここでも「竹下流」で調整に動いていた。

当時、竹下と同じ田中派所属だった渡部恒三(元衆院副議長)が、のちにこんな解説をしてくれた。

「中曽根内閣の蔵相として、予算編成で各省庁の要求段階から増額ゼロに抑制するゼロ・シーリング方式を断行したり、補助金整理や医療費の適正化、日本電信電話公社、日本専売公社、日本国有鉄道の民営化実現によって、これまで高率だった補助率を一律に引き下げたり、さまざまな財政再建の実績を積み上げていったが、その裏では竹下さんの調整力の凄さを見た。
与野党に限らず、根回し、気配り、我慢、辛抱のフル回転で、常に頭を下げて歩く一方、説得への粘り強さ、手堅さ、そして度胸も並ではなかった。また、のちに首相になっても同様だったが、あのノラリクラリの言語明瞭・意味不明瞭といわれた答弁は、よく速記録を読んでみると、野党にもきちんと“落としどころ”を譲っていたのが分かる。
つまり『竹下流』とは、野球の投手に例えるのなら剛速球でなくチェンジ・オブ・ペース、打たせて取る軟投型だ。それも、ゴロを打たせては内野手に活躍の場を持たせ、フライを打たせては外野手にも働く余地を与える“全員野球”にしてしまうから、どこからも不満が出ない。しかも、味方に活躍の場を与えることにとどまらず、野党に対しても三振に切って取るような恥をかかせない。凄い気配りのリーダーシップと、言わざるを得ないのだ。
さらに、竹下さんが只者ではないのは、中曽根内閣では新税実現への礎石を積み上げることに全力を挙げたが、じつは実現への目線はその先にありで、中曽根さんの後継として自ら政権を取ってから、しっかり消費税3%を導入してみせたことで、見事に“自分の仕事”にしてしまったのだから恐れ入る」

こうした「竹下流」について、筆者は、竹下が首相の座を降りて半年ばかりが過ぎた頃、本人に直接質したことがある。