“プロ野球考古学者”キタトシオに初インタビュー「縁が重なって『週刊ベースボール』で連載させてもらうことになっただけなんです」

「やろうと思えば誰でもできることですから」

キタ氏のプロ野球に関する蔵書
口を開けば情念ほとばしる熱い男たちの熱闘譜を諳んじる。人は彼を“プロ野球考古学者”と呼んだ。

しかし、表向きの顔は勤務態度が真面目なサラリーマンも一寸先は昭和プロ野球の語り部である。

キタの本当の姿は誰も知らない、知られちゃいけない。そんな事情があるため、写真掲載は不可。こんなインタビューに登場するのも、今回が初めての経験である。

「本当にたまたま縁が重なって、『週刊ベースボール』で連載を持たせてもらうことになっただけなんです。もともとライターになろうとも思わなかったし、今だってプロのライターと名乗るのは申し訳ないので言えません。

だって、プロの人は興味のないことでも、ちゃんと調べて技能として何千、何万字と書くことができるでしょ。僕は自分の興味のあること以外で書けと言われてもムリです。しかも僕のやっていることは、球界の裏情報を引っ張ってくるわけでもなければ、特別なパイプがあるわけでも、新聞記者さんみたいに直接取材できるわけでもない。

ただ古い本を読んで、チョイスして、そこにちょっと自分の味を混ぜて原稿にしているだけですからね。やろうと思えば誰でもできることですから」

そう言ってキタは謙遜する。だが、男の人生なんて所詮は足の引っ張り合いだ。

目立てば目立つだけ、叩かれ、引っこ抜かれ嫉まれる。キタはこれまでの人生でそれを思い知らされてきた。

「僕は別に野球をやってきたわけでもないですし、運動もできたほうじゃないですからね。小学生の頃にはJリーグ開幕でサッカーが人気でしたが、クラスでやっても陽気な奴らに『何やってんだよ、ヘタクソ』って怒られてイヤになっちゃいましてね。

今でもW杯の日本対ロシアより、日ハム×ロッテを観ますよ。ひねくれていたんでしょうね。小学校3年生のとき、熱狂的な西武ファンの友達、中村君に連れられて西武球場に行ったんです。それからパ・リーグの野球に触れて、ロッテファンになりました。

なんでロッテなのか。ユニホームとか、見た目がシックでカッコよかった。ただ、地元は埼玉ですし、周りにロッテファンなんて一人もいないんですけどね」