「偉大な政治家は、すべからく風見鶏!」巧妙な立ち回りで出世の階段を駆け上がった中曽根康弘の“政界処世術”



反主流派から主流派へ“八艘跳び”

しかし、激しい権力闘争の後遺症ともいえる昭和55(1980)年5月16日の政変では、反主流派を改め主流派へ転身と、かの源義経の“八艘跳び”も真っ青の身軽さを発揮してみせた。

もっとも、中曽根「風見鶏」による「政界遊弋史」には、当時、中曽根派の幹部だった宇野宗佑(のち首相)が、筆者に“助け舟”を出していたものである。

「中曽根さん自身は、『偉大な政治家は、すべからく偉大な“風見鶏”である』と言い切っている。政治家たる者、その時々で柔軟な対応をしていくのは、ごく自然なことで、実力者といわれる政治家は何らかの意味で、皆『風見鶏』ということです。まぁ日本人は伝統的な農耕民族でもあるし、種まき、収穫のときは、風向きや天候の具合をつかまえなければならない。なので、本質的に『風見鶏』でなけりゃいかんわけですナ」

中曽根は大平政権、鈴木善幸政権のあと、かつての角福総裁選で田中支持に回った経緯が生きて、ついに悲願である首相のイスにすわった。

その田中は、のちに中曽根という政治家を次のように評していた。まずは“公式発言”である。

「日本の政治家は、ことごとくしゃべるなかれという東洋思想を持っておって、利口な人ほどしゃべらない。しゃべるのは馬鹿だとは言わんが、そういうなかにあって中曽根君はビシッと一言で言う。だから、外国からも評価されている」

しかし“私的発言”では、むしろその本質をズバリと指摘していた。

「中曽根というのは、遠目の富士山。近づけば瓦礫の山だ」

晴れた日に遠くから眺める富士山は、たしかに美しい。

しかし、近くで見る富士山は黒い火山岩が露出し、登山者が捨てたビンやカンが散らばっている。

まさに瓦礫の山にも似ており、この“遠近差”が政治家・中曽根の本質だと看破したのであった。