芸能人御用達の不動産屋に転身! 元『SDN48』なちゅ「私自身も絶賛分譲中! いつでも内見可能です」



ギャル男との恋愛話でブレーク

なちゅ(C)週刊実話Web

――で、そのキャラのまま『恋のから騒ぎ』に出たわけですね。

なちゅ「ギャル男との恋愛話はさんまさんの大好物だったみたいで、よく話をフラれていました。『恋から』卒業後はトーク術を磨こうと、ワタナベコメディスクールに入ったんです。青木さやかさんに憧れてタレントコースを選んだんですけど、卒業後の所属は芸人。でも、芸人の勉強をしてないから『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ系)などのオーディションに出ても不合格ばかり。当時は柳原可奈子さんがスイスイ通過していくのを憧れて見ていました」

なちゅはその後、ピン芸人として活動。コンビを組んでM-1やR-1にも出たが2回戦どまりだった。

そして2009年、SDN48のオーディションを受ける。

なちゅ「SDN(SaturDay Night)は毎週土曜日の夜に公演を行うということで、ちょっと大人向けのコンセプトでした。そのせいか、オーディションには尊敬している先輩芸人さんもたくさん来ていたんです。なのに私だけが残っていって、絶対何かの間違いだと思いましたね。結局、秋元(康)先生にトークが面白いからと、MC要因で採用されたんです。同期の1期生にはAKB48から移籍した野呂佳代ちゃん、芹那ちゃんもいました」

――人気はどうでした?

なちゅ「全然。私自身の握手会の列はガラガラなのですが、全員の2番手みたいな感じで、並んでくれるんです。人気がないはずなのに、全員の2番だからまあまぁ人が来てましたね。そこでは『前田敦子さんに言っといて』、『篠田麻里子さんに言っといて』みたいな、伝言板代わりで人気者でした(笑)」

――そのSDNを12年に卒業されて、以降は週刊誌にコラムを書いたり、ギャル書道家を名乗ったりしていたわけですが…。

なちゅ「芸能界で食べていくには、何か特技がないと…と思い、お琴や料理、書道などをやりました。小学生のときに書道七段を取っていたのですが、楽しくて気づいたら師範代の免許を持っていました。狙っていたわけではなく、気づいたら師範だったんです(笑)。『ギャル書道家じゃん?』と思い、人の体を半紙に見立て、そこに文字を書く『ボディー書道』というのを商標登録して、世界中を回ろうと画策していました。実際、インドネシアやマレーシアで公演もしているし、プロレスラーの棚橋(弘至)さんやグラビアアイドルの体にも書いてきました。そんな最中、不動産会社を経営している父が体調を崩してしまったんです。私が跡を継がなくちゃと、別の不動産会社でアルバイトを始め、宅建士の資格を取るため3年間猛勉強しました」