秋葉原“オウム史跡”の現在 PCショップ「マハーポーシャ」跡地裏の細い路地を行った先にあったモノ

秋葉原
「上祐が当時の職場によく買いに来てたんだよ!」こう語るのは、神奈川県在住の50代・Hさんだ。

九州出身のHさんは大学院を卒業後、就職に伴い上京。90年代初頭には富士宮市内で働いており、教団のスポークスマン的役割を担っていた当時オウム真理教の幹部だった上祐史浩氏の話を仕事仲間から聞いていたそうだ。

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「オウム真理教がサティアンとか造って本拠地にしてた、上九一色村ってあったでしょ。当時、俺は富士宮っていう隣の市で働いてたんだけどさ。上祐がよくメシ食いに来るって有名だったんだよ」(Hさん、以下同)
貴重な当時について振り返ってくれたHさん
山梨県上九一色村(現・富士河口湖町)は静岡県との県境に位置し、かつてはオウムが大量の教団施設を建設していた土地だ。

出家信者は主にここで生活していたほか、地下鉄サリン事件で使われたサリンもこの村で製造された。サリン事件2日後の1995年3月22日に、警察の大規模な強制捜査が入ったことでも広く知られているだろう。

Hさんはさらに、オウムにまつわる当時の思い出を語ってくれた。かつて秋葉原に存在した教団経営のPCショップ「マハーポーシャ」だ。

「マハーポーシャ」はPC黎明期、当時としては最先端のマニアックなPC部品を取り揃え、激安で販売していたことで知られている。Hさんが話してくれたエピソードも、この伝承に違わぬものだった。
地下鉄秋葉原駅。日比谷線にもサリンが撒かれた。

秋葉原のオウムPCショップ跡地の裏にあったモノ 

「秋葉原にオウムのPCショップがあったのは有名で、当時の友人の間でも話題になってて。『あの辺りで客引きしてるのはオウムで危ないぞ』『あんまり入らない方がいいなんて言われてたんだ。 
でもさ…まだパソコンがそこまで普及してない中、あそこで売ってたパーツって結構いいもんばっかで、店内は気になるってヤツも多かったわけ! 勧誘覚悟で買ってみようかなんて話もしてたよ。結局俺は行かなかったけどね」 

この「マハーポーシャ」があったのは、秋葉原を出て銀座線・末広町方面へ7分ほど歩いた場所。現在は様々なテナントが入る雑居ビルで、周辺にはホビーや中古ショップなどの店が並ぶ。錦糸町同様、事件から30年が経って、すっかり落ち着いている。 

マハーポーシャがあったビル
行き交う人々には若者や外国人も多く、ここにオウムの関連施設があったなどつゆほども知らないだろう。

しかし、このビルの裏には、驚くべき施設が建っている。
神社への出入り口。一見すると入ってはいけないようにも見えてしまうが、神社までの出入りは許可されている。
裏のとても細い路地を行くと、神社が建立されているのだ。表通りからは一切見えず、死角に囲まれ、ビルの陰でひっそりと佇んでいる。

ビルに囲まれた中にある神社
ここは「花房稲荷神社」といい、歴史的沿革や建立についての詳しい歴史は分かっていない。 

ただひとつ言えるのは、オウム真理教という宗教団体の関連施設裏に、こちらも宗教施設である神社が建立されているという、何とも不思議な巡り合わせを感じさせる事実だ。 

地下鉄サリン事件から30年、錦糸町も秋葉原も今はすっかり平和な街だ。日本の歴史に残るオウム真理教が起こした一連の事件を、我々は40年、50年といつまでも語り継がねばならないだろう。

取材・文/シンディー・カート