「織田信長は本当に日本人らしくない」最期の言葉“是非に及ばず”に込められた覚悟を加来耕三が語る

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“終活”に学ぶ人生流儀 加来耕三が語る偉人たちの覚悟(1)
テレビ、ラジオでもおなじみの歴史家で作家の加来耕三氏が、新刊『日本史 至極の終活』(日本ジャーナル出版)を刊行した。本書では偉人たちの最期を〈大往生〉〈悲壮〉〈意外〉〈悔恨〉〈応報〉という5つのテーマに分け、波乱に満ちた彼らの生涯と晩節、そして臨終について詳説している。

偉人たちは、どのような心持ちで死を迎えたのか。また、歴史学の観点から見て、現代に生きるわれわれが学ぶべきポイントは何なのか。加来氏に話を聞いた。(全3回の1回目)

「信長には劣等感がないのです」

人間には誰しも「あのとき右に行っていれば、どうなっていたのか」「左に行くと決断していれば、果たして今とは違う人生があったか」という思いがあります。よく運命の分かれ道とも言いますが、歴史学ではそれを「あなたが右に行っても、左に行っても、結局、今のあなたに行き着きます」と教えるわけです。歴史は必然であると同時に、偶然でもある。必然と偶然が「イコール」になっている世界なのです。

運命や宿命と呼ばれるものでも、じつのところ偶然の帰結かもしれない。

だから、人間は一生懸命に生きたからといって、必ずしも報われるとは限りません。周囲を見ても、結構いい加減にやっていながら、それなりの生活をしている人はいるものです。

ただ、どうすることもできない運命について、数多いる歴史上の人物を見たときには、自分の生き方はこうあるべきだ、と考えた人間、思いを定めて生きた人間のほうが、どうも成功している確率が高いように思えます。

すなわち、それが「覚悟」と呼ぶものなのです。

いちばん分かりやすい例は、織田信長でしょう。

信長という人は「自分はこういう生き方しかできない」と、今で言うなら小学生、中学生の頃から、きちんと理解していました。

父親の信秀も、やりたいことだけをやらせて、嫌なことはやらなくていいと、そういう教育を施します。

だから、信長には劣等感がないのです。劣等感がない人間だからこそ、ああいった劇的で苛烈な生き方ができる。おそらく彼は、納得のいく人生を送ったのではないか、私はそう思います。