東京大空襲から80年…下町で行われる法要と今なお残る“傷跡”

東京都慰霊堂 撮影:シンディー・カート

3月10日は東京、特に下町にとっては忘れられない日だ。

昭和20(1945)年のこの日、東京大空襲に見舞われ、墨田区、江東区、台東区を中心とする下町エリアは焦土と化した。

米軍は約300機のB29爆撃機で約1700トンもの焼夷弾を投下。わずか2時間半弱の無差別爆撃で、約10万人もの命が奪われた。

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毎年3月10日、空襲の犠牲者を悼むため、墨田区の横網町公園にある東京都慰霊堂で大法要が執り行われる。

80年となった今年も、秋篠宮ご夫妻や東京都の小池百合子知事ら約160人が参列。法要後には慰霊堂が一般開放された。

公園内の「東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」も、この日は一般公開される。

中に納められている『東京空襲犠牲者名簿』も閲覧可能。名簿は現在35冊あり、1冊につき2500人の名前を記載できるそうだ。

「東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」 撮影:シンディー・カート

公園内には、東京大空襲の被害や惨状を伝える、入場無料の東京都復興記念館もある。

秋篠宮ご夫妻や小池都知事が訪れた慰霊堂 撮影:シンディー・カート

この日の同地区では、ありふれた小さな公園でも法要が行われる。

そのひとつが、都営新宿線菊川駅近くの菊川橋児童遊園だ。

ちょっとしたコインパーキングほどの広さしかないが、毎年この日は空襲による犠牲者を悼む法要が執り行われる。

奥のほこらには地蔵尊が祭られている 撮影:シンディー・カート

というのも、公園に隣接する菊川橋はまさに悲劇の場所で、空襲時、下の大横川に多くの人々が逃げ込んだ。

その結果、遺体は橋を渡れないほど積み重なり、引き上げ作業だけで数カ月かかったともいわれている。

画像右側にスカイツリー、左側に菊川橋児童遊園 撮影:シンディー・カート