「痛みによく耐えて頑張った。感動した!」貴乃花を力士生命の危機に追い込んだ“永遠のライバル”曙、武蔵丸との大一番【平成大相撲伝説の名勝負5】

わずか2秒余りで完敗

ちなみに、表彰式では小泉純一郎首相が「痛みによく耐えて頑張った。感動した!」と称賛したが、この優勝の代償はあまりにも大きかった。

右ひざが回復しないまま7場所連続休場し、2002年(平成15)秋場所に復帰したものの翌年引退。そのため、この2001年夏場所の対武蔵丸戦は、平成の相撲黄金期を築いた貴乃花の集大成ともいえるのだ。

ただ、貴乃花にとって武蔵丸以上の“最大のライバル”とも言えるのは、やはり曙だろう。2人は1988年に春場所に初土俵を踏み、ともに相撲道に精進してきた同期で因縁が深かったからだ。

貴乃花は貴花田時代の1989年(平成元年)九州場所において17歳2カ月で新十両に昇進。1992年初場所では19歳5カ月で幕内初優勝を果たし、同年には史上最年少で年間最多勝も受賞した。

この快進撃もあって世間では「若貴フィーバー」が渦巻いたが、「大関取り」のかかった1993年(平成5年)初場所で立ちはだかったのが武蔵丸と同じハワイ出身力士の大関曙で、2人の対戦はわずか2.7秒で貴花田(貴乃花)が一方的に押し出されて完敗。一時は大関昇進が絶望的とみられたほどだった。

「ところが、直前の3場所すべてを三役の地位で35勝も挙げたことが認められ、大関昇進が決定。同時に曙も大関昇進が決定した。この取組の屈辱が曙駆逐、のちの横綱昇進への大きな布石になったとも言われているのです」(スポーツ紙記者)

その雪辱を果たしたのが、1994年(平成6年)九州場所千秋楽で行われた曙戦だ。当時しこ名を改めた貴乃花は、立ち合いから前に出ると小手投げで何度も振られたが、左四つで曙が押し込んできた土俵際で体を左に開き、上手投げを打って曙に土を付けた。

「この白星で貴乃花は2場所連続全勝優勝。相撲関係者にも『一年の納めの場所を締めくくるにふさわしい死闘だった』と称賛され、場所後の横審で横綱昇進が決定した。貴乃花の昇進で肩を並べた2人はこの後何度も互角の戦いを繰り広げていくのです」(同)

曙は2001年(平成13年)に現役引退を発表したが、まさに“最大のライバル”と呼ぶにふさわしい相手だったのである。

文/週刊実話Web編集部