追悼・吉田義男さん 元スポニチ敏腕記者が“幻の田淵タイガース構想”を初公開

「吉見くん! あなたにとって凄く良いことが起きますよ」

意味深長な言い方をしたのは“ミスタータイガース”として活躍した田淵幸一のことだった。吉田監督は田淵と私が法政一高、法政大学の同級生で友人であることを知っていたのだ。

当時の田淵は前年の1984年に西武ライオンズで現役を引退しており、スポニチの専属評論家だった。

ここで阪神と田淵の遺恨について簡単に触れておく。1978年、田淵は西武へ放出された。

阪神からは田淵、古沢憲司、西武からは真弓明信、竹之内雅史、若菜嘉晴、竹田和史の2対4の大型トレードだった。

阪神から真夜中に呼び出しされた異例のトレード通告に、田淵は「深夜なんて常識外れだ!」と怒りをブチまけたものだ。そんな経緯もあり、田淵は二度と阪神に戻らない意思を固めていた。

阪神本社は田淵を監督で戻す

吉田監督が私に口にした情報に話を戻すと、吉田監督は「吉見くん、阪神本社幹部には田淵を監督で戻す意思があるんや。だからしっかり田淵に帝王学を…」と、阪神監督として目があることを打ち明けた。田淵との関係から私が喜ぶと思ったのだろう。

もちろん、この裏話は吉田氏が亡くなったので初めて書いたのだが、結果的に田淵は5年後の1990年に福岡ダイエーホークスの監督に就任した。これにより阪神監督の道は完全に断たれたと言っていい。

さて、吉田氏の現役選手時代といえば、阪神の伝統である派閥の全盛期だった。当時は村山実派と吉田派に分かれており、担当記者も真っ二つに割れていた。

ある大物OBが「それは壮絶でした。村山が好投している試合で遊撃の名手・吉田がわざとトンネルするんです。村山はベンチ裏で泣いていました」と振り返るほど険悪だった。