30年以内発生率「80%程度」に上昇! 迫る「南海トラフ」巨大地震のXデーは果たしていつか?



過去最大級はM8.6の“三連動地震”

この東海地震(M8.4)では、ロシアの軍艦ディアナ号が巨大津波により大破した。

また、南海トラフ地震の中でも過去最大級と言われるものに1707年10月4日に発生した宝永地震(M8.6)があるが、気象庁はこの地震が東海・東南海・南海地震の震源域で連鎖的にほぼ同時発生した三連動地震だったとして、注目しているのだ。

「振動時間は土佐国(高知)で半時(約1時間)ばかり大揺れに揺れたと、地元の資料には記録が残っている。1時間も揺れ続けたとの誇張としか思えない記述は、現在ほど厳密な時間を求められない江戸時代の記述ゆえだったからと考えられるが、一方、京都では2分から10分激しい揺れが続いたと書かれた資料が残っているのです」(前出・サイエンスライター)

通常、激しい揺れはM7クラスで約10秒、8クラスで約1分、9クラスで約3分継続する。

2分から10分続いたとあるのは、この地震が“超ド級”の巨大地震だった証拠でもある。

「宝永地震は日本の歴史上で最大級の地震だが、被害実数が分かる史料は少なく、例えば大坂の死者はこれまで数千と言われてきた。しかし、その一方では大坂市中の津波などで2万1000人を超える死者が出たとする記録も見つかっているのです」(同)

揺れのすさまじさを考慮しても被害の甚大さは想像に難くないが、実は宝永地震の被害はこれだけにとどまらなかった。

宝永地震の49日後、今度は富士山の南東斜面からマグマが噴出。俗に「宝永大噴火」と呼ばれたこの天変地異が江戸の街に大量の火山灰を降らせたのである。

火山灰は2週間以上も降り続き、横浜で10センチ、江戸でも5センチ積もったとされる。

その際、灰は太陽を隠し、昼間でも薄暗かったと言われているのだ。