実は美容エステにも通い詰め…政争の裏に埋もれた田中角栄“仰天秘話”



秘書の早坂茂三には「すまん」を連発

田中が地方へ出向く際、秘書の早坂茂三(のちに政治評論家)がしばしば同行していたが、某日、田中とこの早坂が、旅先で一緒の風呂に入る機会があった。

その際、こんな会話があったと早坂が言っていた。

田中に「君もずいぶんと頭が白くなったなぁ」と言われ、早坂が苦笑しながら「オヤジさんがあまり苦労をかけるからです」と返すと、田中はしきりに「すまん。すまんなぁ」を連発していたそうである。

この早坂は、田中の百数十回に及んだロッキード裁判の公判傍聴に通い続け、小沢一郎ともども、どんなに風邪気味でも1日たりとも休んだことがなかったのだった。

「沖縄返還」「ノーベル平和賞」の佐藤栄作、「戦後政治の総決算」「行革」の中曽根康弘、両首相はその功績と長期政権を果たしたことから、栄典制度における最高位の「大勲位」を受賞している。

一方、「日中国交正常化」をやり遂げた田中は、陸軍の盛岡騎兵第三旅団第二十四連隊第一中隊の満州勤務時代に、上等兵として「支那事変ニ於ケル功ニヨリ」受賞した勲八等瑞宝章だけである。

これは金脈・女性問題での首相退陣、ロッキード事件の影響によるものであった。

ちなみに、この勲章は功あった“緑のおばさん”が受賞するものと、ほぼ同じだったのである。

田中は「日の出の勢いの幹事長」と呼ばれた昭和40年代に、こう言ったことがあった。

「野党は政策で自民党を倒すことは、絶対できない。自民党内閣が倒れるときはズバリ、汚職。これ以外は見当たらない」

もとより「政治とカネ」の不祥事を言っている。

自民党はいま、その問題で大揺れ、土俵際にある。

田中の“炯眼”は当たるか否か。

(本文中敬称略/次回は三木武夫)

「週刊実話」1月23日号より

小林吉弥(こばやし・きちや)

政治評論家。早稲田大学卒。半世紀を超える永田町取材歴を通じて、抜群の確度を誇る政局・選挙分析に定評がある。最近刊に『田中角栄名言集』(幻冬舎)、『戦後総理36人の採点表』(ビジネス社)などがある。