「分をわきまえなきゃいかんよ。たかが選手が」ヒールとして愛された“ナベツネ”渡邉恒雄さんの功罪

東京ドーム (C)週刊実話Web
12月19日朝、読売新聞グループ本社の代表取締役主筆にして、「ナベツネ」の愛称で親しまれた渡辺恒雄さんが亡くなった。98歳だった。

氏の影響力はいうまでもない。現在の開成中学・東京大学を経て陸軍入隊というエリート街道を走り、復学後には日本共産党に入党。

【関連】小倉智昭さんが生前語っていた“メディアへの圧力” 番組終了の危機に「日本不毛協会」と恨み言 など

その後、離党して読売新聞に入社し、若手時代から戦後日本を作った大物政治家の番記者を次々と務める。

こうして地位を高め、中曽根康弘、安倍晋三ら総理大臣と蜜月な関係を築き、一記者でありながら日本政界を影から操る“フィクサー”となった。

1996年には、読売ジャイアンツの球団オーナーに就任。以降、持ち前の奔放な発言で“ヒール”として幅広い世代に認知される。

「現2軍監督の桑田真澄氏が結婚した際、渡辺さんは祝福どころか『あんな借金まみれの男に嫁が来てくれたな』と発言。桑田の相方・清原和博氏にはさらに厳しく、2000年に故障で2軍落ちした際に『これで勝利の要因が増えた』と述べるなど、辛辣発言を連発しました」(元スポーツ紙巨人担当)

この頃には、国会で問題視される発言も残している。

「同年11月3日付けの新聞各紙にて、渡辺さんが選手との交渉を行う代理人制度について『巨人にはくだらぬ代理人を連れてくるやつはいない』『連れてきたら俺が球団代表に給料をカットしろと言う』などと述べたことが報じられると、8日の衆議院労働委員会で『不当労働行為の意思を公然と表明した』と槍玉に挙げられたのです。この影響から一時期だけ丸くなり、それまでこき下ろしていた清原氏を読売本社に招いて絶賛するなど、辛辣発言を事実上撤回しました」(同) 

元巨人のバルビーノ・ガルベスが審判にボールを投げつけた1998年の大騒動でも、「それほどじゃないんだ、審判にボールを投げつけることぐらい」など、大問題になった行為を擁護している。

しかし、最も批判を浴びたのは、今からちょうど20年前、球界再編騒動で揺れたときの「たかが選手」発言だ。