ダンプ松本『極悪女王』の真相激白!「声援じゃなくて野次が欲しい」髪切りデスマッチの裏側



“ダンプ引退”でも会社は変わらず…

ダンプ松本 (C)週刊実話Web
――ダンプさんは選手の扱いの悪さから、記者を集めて一方的に引退を発表。

松本「客が入らなくなって、会社が困ればいいなと思って辞めただけ。会社は『人気が下がるから引退はダメだ』って言ったけど、勝手に発表しちゃえばこっちのものだ。でも、先のスケジュールが決まってたから、引退試合を2回やってるんだよ。1988年2月22日に川崎でやって、2月28日に地元の熊谷で。二度も引退するのかよって(笑)」

――もし会社が待遇を改善していれば、引退しませんでしたか?

松本「それは無理。会社はもっともっと金が欲しい。ビューティ・ペアのブームは2年しか持たなかったけど、クラッシュのときは極悪もいたから4年持った。それで自社ビルを建てて、会社の人間は車を買い替えて、船を買って。どんだけいい思いしてんの?って。最後は株と不動産で失敗して潰れたみたいだけど」

――ダンプさんが引退することで目を覚まさなかった。

松本「潰れるまで目を覚まさなかったんじゃないの。引退したあとの会社のことはよく知らないんだけど、みんな大変だったと思うよ。国マネジャー(国松)はね、試合があるのにおにぎり持参で私の隣でパチンコやってた。それが、翌日にはビルから飛び降りたからビックリした。会長(高司)、健坊(健司)、俊国マネジャーは病院で亡くなったけど、やりたいことやって人生を全うできたんだからいいんじゃない? でも、国マネジャーの家族は、お父さんが死んでからプロレスの話を一切しなかったんだけど、この『極悪女王』を見てからまた話ができるようになったって。ご家族が『ありがとうございます』と言っているという話が、井上貴子を通じて回ってきました。『極悪女王』のおかげで若い人がプロレスを見に来るようになったし、当時クラッシュを応援してた人たちは、もう孫がいる年頃。お金にも時間にも余裕があるから、昔を思い出してまた会場に見に行くようになった人も多いよ。あの頃の女子プロは、お客がみんな女の子。ジャニーズから『クラッシュにファンを持っていかれた』って言われたくらいだよ」