「社会の窓が開きっぱなし」“エリート”レースクイーン・霧島聖子がドジっ子エピソードを赤裸々告白!

霧島聖子(C)週刊実話Web
2019年、デビュー4年目で「日本レースクイーン大賞」を受賞した霧島聖子。頂点を極めたその2年後には「ミスFLASH」のグランプリを獲得。順風満帆の活躍に見える彼女だが、ここまでは紆余曲折があり、何度も挫折を味わってきたのだという。

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――目指してきたのは、最初からレースクイーン(以下RQ)だったそうですね。その理由は?

霧島「父親がバイク好きで、よく後ろに乗せられてツーリングをしていたんです。家にはバイク雑誌がたくさんあり、そこで見たのが鈴鹿8耐(8時間耐久ロードレース)のRQ特集でした。可愛いなぁという印象がずーっと残っていて、大学卒業後コンパニオンのアルバイトをしていたときに『RQに興味はないか』とお誘いを受けました。『じゃあ目指そう。両親も喜ぶに違いない』って…」

――大学を出てフリーターをしていた?

霧島「いえ、普通に就活をして、あるロリータブランドの会社で働いていました」

――ロリータって、映画『下妻物語』で深田恭子が着ていたゴスロリ(ゴシック・アンド・ロリータ)のこと?

霧島「そうです。実は私、2次元オタクで、ゴスロリが大好きだったんです。でも、その会社は1カ月で辞めてしまいました。芸能への夢を追いたいと思い、アテもなく上京してしまったんです」

――そこでスカウトされたわけですね。RQになるまでは順調でしたか?

霧島「それが全然! 1年目は募集のあった10個以上に応募したのですが、書類選考でなんと全落ち。面接に進むこともできず、ものすごいショックでした」

――何がいけなかったのか…など、分析をした?

霧島「もちろんしました。髪型や服装を変えたり、宣材写真も撮り直して、次の年にはチーム別の傾向なども研究して対応しました。でも私の場合、そういう悔しい経験が次の成功に繋がってるケースが多いんです。悔しさをバネにするというか、見返してやりたいという気持ちがモチベーションになるんです。RQ大賞にしても、3年目には所属チームの全員がファイナリストになれたのに、私だけが何の賞もいただけなかったんです」