「サラリーマンの朝ドル」ももう還暦…“元祖女子アナブーム”を巻き起こしたレジェンドたちの今



永井美奈子は六本木のディスコクイーン!?

永井美奈子(1965年6月14日生まれ)は成城大文芸学部を卒業後の1988年、日本テレビに入社。

「大学時代は『ミス成城』に輝く評判の美貌。バブル真っ盛りの頃で、バイトはモーターショーのコンパニオン。遊び場は『マハラジャ』でした」(前出・女子アナライター)

当時を振り返り永井は、マスコミのインタビューに、「大学4年間は、とにかく弾けてました。入社したとき、『六本木のディスコクイーンが入ってくる』ってちょっと噂になったんです。これはマズイと思って、入社後は夜遊びも合コンもせず、ひたすら地味に過ごすようにしてました(笑)」と話している。

「売れっ子アナのイメージが強い永井ですが、最初の4年間は売れませんでした」(日本テレビ関係者)

永井本人も、インタビューで、「本当に仕事がなくて、1週間ほとんど仕事がない時期もありました」と語っている。

それが1992年3月、『ジパングあさ6』の初代キャスターに就任すると、早朝にもかかわらず視聴率10%台を記録した。

「“サラリーマンの朝ドル”として人気を博しました。弾けるように笑う姿に、サラリーマンは釘付けになったのです」(女子アナウオッチャー)

その頃の永井は、「学生時代は、テニスもスキーもかなりハードにやっていたので、体力には自信があるんです。ただ、低血圧なので、朝起きるのが大変なんです。目覚まし時計2つとテレビタイマーをかけています」と話している。

また、日本テレビ開局40周年時には、後輩アナの藪本雅子・米森麻美とユニット『DORA』を結成。

「歌にドラマとアイドル並みの活躍で、女子アナブームを巻き起こしました」(前出・日本テレビ関係者)

その後、永井は1996年まで同番組を担当したが、同年、31歳でフリーに転身した。

2001年、実業家の堀主知ロバート氏と36歳で結婚。2児(1男1女)をもうけた。

現在、成城大の非常勤講師や日テレ学院の講師、エッセーなどを書きながら、タレント業にも進出したい意向だという。

「子供たちは2人とも大きくなりましたから、タレント活動には何の支障もありません。『(田中)みな実より私の方がウマい』と、女優業にも色気を見せているようです」(プロダクション関係者)