「神経が図太い男でありました」妻が垣間見た左遷、暗殺未遂すらものともしなかった佐藤栄作総理の“強運”と“孤独”



深夜トランプで政局の行方を占う姿も

ところが、入居から約2年が過ぎた46年10月19日夜、どうしたものか厳重な警備をかいくぐって短刀を持った賊が侵入、佐藤の暗殺未遂事件が起こる。

ここでも、寛子はこんな証言をしている。

「そのとき主人はマッサージを受け、終わったあと浴衣姿で廊下を歩いていたときに犯人と出くわしたのです。あまりに悠々とした主人に圧倒されたのか、犯人はその場に立ちすくんだままだったそうです」

ここでも胆のすわった姿を見せた佐藤だったが、結局、犯人が短刀を投げ捨てたことで大事に至らなかったという。

寛子の公邸生活秘話は、こう続いた。

「一方で、主人の総理大臣としての孤独な背中を、何度も垣間見たものです。栄作は運命というものを信じる男でしたので、普段から方位、八卦の本もじつによく読んでいました。また、トランプ占いもその一つで、政局が緊張したときなどは布団の上にすわり込んでは、一人でぶつぶつ言いながらトランプをめくっていましたね。あるときなど、深夜、一部屋だけ灯がついていたので襖を開けると、栄作がトランプをめくっておったのです。その姿を見てギクッとしましたが、こんなに総理大臣の孤独を知ったのは初めてでした。さらに、般若心経の写経もよくやっておりました。筆を運んでいる栄作は、ひどく孤独に見えたものです。あとになって考えると、総理在任中は勢いのある肉太の字でしたが、総理を辞めて倒れる直前に書いたものは、ずいぶん細くなっていたのが印象的でした」

その佐藤は政権の座を降りてわずか3年足らずの昭和50年5月19日、東京・築地の料亭『新喜楽』の宴席で倒れた。

後頭部の静脈が切れての脳内出血である。以後16日間にわたり意識不明のまま、6月3日に臨終を迎えることになる。

寛子は佐藤が亡くなる1年ほど前、佐藤の手による夫人宛の1枚の紙切れを発見したのだった。

(本文中敬称略/この項つづく)

文/小林吉弥

「週刊実話」12月19日号より

小林吉弥(こばやし・きちや)

政治評論家。早稲田大学卒。半世紀を超える永田町取材歴を通じて、抜群の確度を誇る政局・選挙分析に定評がある。最近刊に『田中角栄名言集』(幻冬舎)、『戦後総理36人の採点表』(ビジネス社)などがある。