佐々木貴「デスマッチは生き様であり覚悟です」15周年を迎えたFREEDOMSが“自由で楽しい俺たちのプロレス”を取り戻すまでの日々

「俺プロレスで家族を守るから」

試合中の佐々木貴
2009年9月。所属していたアパッチプロレス軍の看板レスラーの不祥事から団体は崩壊の危機に瀕していた。当時の社長やスタッフは責任を放棄して逃げ出し、佐々木をはじめとする若手レスラー5人が闇の中に放り出された。

「団体存続の道を模索していろいろやってみたけどダメで、どこかの団体に拾ってもらうかフリーになるか…となったとき、これまで一緒に頑張ってきたのに、こんなことで終わりなのか…って。家を失った野良犬たちがキャンキャン吠えているのをほっとけなかった…というかね。なかには大ケガで休んでいる選手もいて、そういうやつらと、それならば俺らが生きていくための犬小屋を作ろうよ、という感じでしたね」

渋谷の喫茶店に集まった5人は、佐々木の新団体設立の提案に全員が「やろう!」と決起。新しい団体はGENTAROの「もう俺たちの自由にやろうよ」という発言で、「FREEDOMS」に決まった。

「アパッチの最後が、ものすごく淀んだ暗い空気でお客さんも、自分たちも楽しめていなかった。その空気をなんとか打ち破りたかったんです。せっかくプロレスが好きで、苦しいトレーニングにも耐えてやってきたのに、俺たちは何をしているんだ。プロレスはこうじゃなきゃいけないなんてものじゃない。何者にも縛られないもっと自由なものなんだから、俺たちがやりたいことをやろうよ。そんな始まりでした」

自由で楽しい俺たちのプロレス。それは、ダムズに所属するレスラーのそれぞれの強みを活かしたレスリングスタイルだった。団体にはシブいテクニシャンもいれば、ルチャ出身の選手や大型選手もいる。そしてエースには、葛西純というデスマッチのカリスマがいたのだ。

佐々木は葛西と共にデスマッチのリングで血を流しながら、試合後にはまったく未知だった団体の運営を勉強し、試合をするために東奔西走した。