「秘書が名前を利用した…」相次ぐ“政治とカネ問題”にさらされ政権が瓦解! 宮澤喜一元首相を襲った自民党腐敗の構図



長女が「父は酒乱でした」

98年に発足した小渕恵三内閣において、首相経験者としては異例の大蔵大臣就任となったのも、その問題解決能力を高く評価されてのことだった。

宮澤は官僚時代の51年、サンフランシスコ講和会議に全権随員として参加しており、英語は通訳なしで海外首脳と会談できるレベル。92年にジョージ・ブッシュ米大統領が来日した際、首相官邸で行われた晩餐会で大統領が失神するハプニングが起きた。

だが、宮澤は慌てることなく対処し、事後の海外報道陣に向けた記者会見には一人で臨んで、事の経緯について英語で質疑に応じている。

このように能力の高さは間違いなく、早くから党内で「ニューリーダー」として持ち上げられていた。

にもかかわらず72歳で首相に就任するまで時間がかかったのは、田中角栄や中曽根康弘に嫌われるなど、議員間での人望がなかったせいだといわれる。

議場で英字新聞を読むエリート仕草や、極端な学歴偏重主義も鼻についた。

また、宮澤の長女が「父は酒乱でした」とエッセイに記したように、酒癖もかなり悪かった。

酔えば他人の悪口を吐き散らかし、延々と相手に絡んだそうで、大平正芳が首相に就任した直後の酒席で、宮澤は「大平君が総理総裁とは滑稽だ」と放言し、これを伝え聞いた大平とは一時、絶縁状態になったという。

文/脇本深八

「週刊実話」11月28日号より

宮澤喜一(みやざわ・きいち)

1919(大正8)年10月8日生まれ。東京府出身。本籍地は広島県。東京帝国大学法学部卒。42年、大蔵省入省。’53年、参議院議員選挙に出馬して当選。67年からは衆議院に鞍替えして連続12回当選。内閣総理大臣をはじめ、大蔵大臣、外務大臣、通産大臣など要職を歴任する。2007(平成19)年6月28日、老衰のため死去。