「自信があるから産んだんです」略奪愛も辞さなかった恋多き女優・萬田久子の覚悟と代償



「20代はワンナイトがたくさんあった」

2018年に出演した『ダウンタウンなう』(フジテレビ系)で、萬田本人が「20代はワンナイトがたくさんあった」「有名人もたくさんいた」などと話したように、デビュー間もなくから「プレイガール女優」として浮名を流してきた。

有名なところでは作曲家の都倉俊一との熱愛が、当時のマスコミを騒がせている。

1985年末には、アパレル関係の実業家である佐々木力氏との交際が表沙汰になり、これは相手方に妻子のある不倫だった。

佐々木氏の会社が主催したファッションショーのモデルとして、萬田が出演したことがきっかけだったという。

同年の暮れから正月にかけて、ハワイで佐々木氏との「不倫ハネムーン」を過ごした萬田は、帰国すると芸能マスコミから「略奪愛」として猛烈なバッシングを浴び、一時は円形脱毛症になったという。

それでも関係は続いて、萬田は87年に妊娠。臨月を迎えたところでニューヨークへ渡り、10月に長男を出産した。

翌年1月に萬田が帰国すると、成田空港に大挙押し掛けた芸能マスコミは「相手男性の妻子の気持ちを考えたことがあるのか」「生まれてきた子供の将来を思えば無責任ではないか」などといった厳しい質問を浴びせた。

しかし、萬田は「未婚の母の状態は快適。自信があるから産んだんです」と気丈に語ってみせた。

佐々木氏が前妻と正式に離婚した後も、萬田は「本当の愛というのは形じゃない」と「事実婚」の状態を続けた(佐々木氏と前妻との離婚に際し、「互いに再婚はしない」との約束がなされていたとの話もある)。

だが、不倫行為に対する世間からの反発は大きかったようで、出産からしばらくの間は仕事量がガクンと減ってしまった。

萬田本人もこの頃には引退を覚悟していたようだが、時がたつにつれてバッシングは収まり、90年代に入ったあたりからは再度、表舞台へ立つ機会が増えていった。