「俺とは恋人…いや夫婦だった」ジャニー喜多川氏の性加害を最初に告発したフォーリーブス・北公次の“恨み節”

“捨てられた”ことへの恨み 

ジャニーとの行為自体には嫌悪感を抱いていたが、所属タレントの中で最も大事にされ、ジャニーから寵愛を受けているとの自負もあった。また、それは北のタレント活動において、ある種のプライドのようなものになっていた。

この複雑な心境について北は、「俺とジャニーさんは恋人…いや夫婦だった」と、その著書のゴーストライターを務めた本橋信宏氏に話している。

だが、ジャニーの性的嗜好はあくまでも「少年」を対象としたものであり、北が20歳を過ぎたあたりからは興味を失ったのか、距離を置かれるようになった。

北個人の芸能活動においては、単独でドラマや映画に出演するなど順調に見えたが、1978年のフォーリーブス解散と同時に事務所を退所。さらには告発本まで発表したのは、ジャニーから“捨てられた”ことへの恨みと、新たに寵愛されるようになった後輩たちへの嫉妬が原因だったともいわれている。

北は退所した翌年の1979年に覚醒剤取締法違反で逮捕され、その際に「フォーリーブスの人気が低迷するようになった1975年ごろから使用した」と話しているが、これはジャニーとの“同棲”解消の時期とも重なる。

しかし、ジャニーへの怒りは心底からのものではなかったようで、2002年にジャニーズ事務所からフォーリーブス再結成の話を持ち掛けられると、それまで「ジャニーくたばれ」などと言っていたにもかかわらず、北は一も二もなくこれに飛び付いている。

2009年にメンバーの青山が急逝してフォーリーブスが無期限の活動中止になると、北も徐々に芸能活動からフェードアウト。2012年2月に肝臓がんであることが公表され、それから間もなく逝去した。63歳没。

亡くなる直前には自身のブログにおいて、ファンだけでなくジャニーへの感謝の言葉も記している。

文/脇本深八

「週刊実話」10月10日号より

北公次(きた・こうじ)

1949(昭和24)年1月20日生まれ〜2012(平成24)年2月22日没。和歌山県出身。1966年に本名の「松下公次」で芸能界デビューし、翌年にフォーリーブス結成。歌って踊れるアイドルグループとして人気を博し、1970年から7年連続で『NHK紅白歌合戦』に出場。グループは1978年に解散するが、2002年に再結成を果たした。2012年に肝臓がんで死去。