「俺とは恋人…いや夫婦だった」ジャニー喜多川氏の性加害を最初に告発したフォーリーブス・北公次の“恨み節”

芸名の「北」は喜多川の“喜多”

なんとかツテをたどってバンドボーイとなり、『日劇ウエスタンカーニバル』の舞台袖でショーの合間にやっていた映画を見ているとき、ジャニーズ事務所の社長であるジャニー喜多川に見初められた。ジャニーから「ジャニーズに会わせてあげるよ」と誘われた北は、その場で彼らの付き人になることを快諾する。

ジャニーは北を気に入り、すぐに目を掛けられる存在となった。北公次という芸名も自身の名字である喜多川の“喜多”にちなんで付けられたものだった。ジャニーズ事務所入りを決めた北は、さっそくジャニーの自宅兼合宿所に住むことになるのだが、住み始めてから間もなくして、ジャニーが北の部屋を訪れるようになった。

以下は、北がジャニーの性癖を暴露した1988年刊行の著書『光GENJIへ 元フォーリーブス北公次の禁断の半生記』(データハウス)からの引用である。

「うすい布団に寝ているおれのもとへジャニー喜多川さんがそっとやってきておれの寝ている布団の中に入りこんできた」

当時、北はまだ16歳。女性との経験が一切なく、ジャニーによって初の性交体験をすることになる。そうして2人の“同棲”関係は、4年以上に及んだという。

「嫌ならばさっさと部屋から出てしまえばいい、何度そう思ったことか。しかし東京で食いつなぎながらアイドルになるためには、ジャニー喜多川氏のもとで生活する以外に手段はなかった」(前出の『光GENJIへ』より)