萩原健一「嵐のように激しく生きてきた」 逮捕&結婚4回の型破りな私生活

逮捕4度の型破りな私生活 

萩原は自身でも「嵐のように激しく生きてきた」と振り返っていたように、1983年には大麻取締法違反(所持)、1984年には酒気帯び運転による人身事故、2004年にも交通事故による業務上過失致傷、2005年には映画製作に関連した恐喝未遂で、結婚回数と同じく都合4度の逮捕をされている。

ほかにも1985年には、前述した倍賞との不倫現場を押さえようとした写真週刊誌の記者とカメラマンに、暴行を働いて書類送検されており、暴力沙汰は日常茶飯事だったと当時の関係者たちは口をそろえる。

映画の撮影においては、濡れ場での前貼りを「リアリティーがない」と拒絶。本番行為に及び、これを拒否した女優を降板させたとも噂されていた。

薬物については、テンプターズ時代の70年代から大麻やコカインを吸引していた事実を認めた上で、逮捕直前には「麻薬をやめたいのにやめられない」とも話し、後年には「あのときに捕まらなかったら(薬物中毒で)死んでいたかもな」と反省を口にしている。

こうしたいくつものトラブルを抱えながら、なぜか晩年には遺作となったNHK大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺』の高橋是清役など、同局へのドラマ出演がいくつか見られた。

NHKが前科持ちを連続ドラマに起用する例はかなり珍しく、これはやはり不祥事に対する反発の声を上回る魅力が萩原にあったということなのだろう。

文/脇本深八

萩原健一(はぎわら・けんいち)

1950(昭和25)年7月26日生まれ。1967年にザ・テンプターズのボーカリストとして16歳でデビュー。解散後は俳優としても活躍し、ドラマ『太陽にほえろ!』『傷だらけの天使』『前略おふくろ様』、映画『青春の蹉跌』『影武者』『いつかギラギラする日』などに出演し、圧倒的なカリスマ性を発揮した。2019(平成31)年3月26日死去。