30年前に“言葉狩り”へ反発 SNS社会にも通じる筒井康隆の名言「あたしゃ、キれました。プッツンします」

報道で「差別主義者」と決めつけられ…

とはいえ、相手が差別と感じれば差別というのは最近でもよくいわれることであり、筒井自身も協会が抗議の声を上げること自体は、当然の権利として捉えていた。

その上で両者が話し合って合意形成をしていけばいいというのが筒井の考えで、実際に協会側とは直接交渉を持ち、のちに和解もしている。

だが、それでも断筆に至ったのは、抗議を受けたこと以外の理由があった。

一つは作者である筒井を守るべき立場の出版社が、抗議を無抵抗で受け入れるかのように映ったこと。そして、同じく表現の問題に関わる新聞社などのマスコミが、協会側の主張を一方的に取り上げたことへの不満もあった。

小説を読まない人たちは、報道だけを見て筒井を「差別主義者」と決めつけ、筒井の家族や親戚にまで抗議や嫌がらせの声が寄せられた。こうした二次被害を防ぐために断筆したところもあったという。  

さらにもう一つ、筒井が気に入らなかったのは、同業である作家たちの中に、表現の自由の問題について議論するよりも筒井批判を優先した者が少なからずいたことだった。

筒井は1968年から直木賞に3度も候補として挙げられたが、いずれも受賞には至らず、これは当時の文壇においてSFというジャンルへの評価が低かったことが理由としてあった。

この頃、ある編集者が筒井関連の企画を会議に上げたところ、編集長から「あんなものは文学じゃない」と、けちょんけちょんに貶されたという逸話もある。