パリ五輪ブレイキンは「日本人ならではの細やかさ」に注目! 留学経験を持つプロダンサーグラドル・城咲れいが新種目の見所を語る

城咲れい
日本時間7月26日に開幕したパリ五輪で、日本人選手のメダルラッシュが続いている。連日伝えられる活躍に、多くの国民が心躍らせていることだろう。

世界中を賑わせる一大イベントを記念し、かつてスポーツに打ち込んだ女性タレントに、今大会の注目点と自身の競技人生を振り返ってもらった。

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今回、話を聞いたのは、4月にデビューDVDをリリースし、7月31日に2nd DVD『Dancing Doll』がリリースされた城咲れい。168cmの高身長を武器に、モデル・グラビアアイドルとして活動する彼女は、海外留学経験のあるプロダンサーという顔も持つ。

――ダンスを始めたきっかけは?

城咲「小学校3年生の時、地元にダンススクールができた際、従姉妹の見学について行ったことがきっかけです。当時はピアノを習っていて、運動神経も悪く、活発な方ではなかったのですが、ダンスレッスンをしていた先生が高身長スレンダーで。今でいう『ギャル!』って感じの綺麗な方で、『こんな風に踊れたらかっこいいな!』と思い、始めました」

――まさか当初は運動神経が悪かったとは! その後、大会などではどんな成績を残したのでしょう? 

城咲「kidsの頃からダンスをしていたので、グループでの出場でheadhunterという九州のダンスコンテストで優勝したことがあります。当時はヒップホップで出場していましたが、現在私のメインはJazzベースのHeelsです。個人のダンスでは、Vogueというジャンルの2つのカテゴリーで優勝したことがあります」 

――これまでのダンス経験の中でつらいことはありましたか?

城咲「正直、私は運動神経も悪く、もともと器用なタイプではなかったので、ダンスを始めたての頃は、地元のダンススクールで従姉妹と比べられ『下手くそ』だとかよく言われて。肉付きが良かったので、スタイルについて周りと比べられるのもすごく辛かったです。 
そうして悩んでいた時、母が地元ではなく、遠い都心のダンススクールに通わせてくれて。そこからコンテストやバトルで少しずつ結果を残せるようになり、その経験は今に生きていると思っています」 

ダンサー時代の写真