噓泣き疑惑にブリッコ批判、勝手に破局会見…昭和のトップアイドル・松田聖子の波乱万丈人生

  「体と心でビビビっと来た」 

このほかにも聖子の熱愛スキャンダルは数知れず、噂の相手は田原俊彦、羽賀研二、中井貴一、英語教師のジェフ・ニコルス、ダンサーのアラン・リード、原田真二、個人事務所の専属マネジャーなどで、この中には相手側の売名目的や根も葉もないデマもあったようだが、今の時代なら芸能界抹殺となっても不思議ではない。

そうならなかったのは聖子の自由な生き方に共感し、憧れる女性たちからの支持があったからだ。

97年に神田と離婚すると、その翌年には6歳年下の歯科医と「会った瞬間にビビビっと来たんです」と言って再婚。聖子がかなりの恋愛体質であることは確かなようだ。

2000年に2度目の離婚をした聖子は、12年に大学准教授の一般男性と再々婚している。

 21年には娘の神田沙也加さんが自死する悲劇に見舞われるが、葬儀の後には集まった報道陣に「本当に皆さん、お寒い中、申し訳ございませんでした。ありがとうございます」とあいさつし、気丈に振る舞った。

 いつ何時でもマスコミ対応から逃げることのない聖子に対しては、「24時間すべてを松田聖子として生きている」「まさに永遠のアイドル」などと評する声もあり、その姿勢は還暦を過ぎた今も変わっていない。

松田聖子(まつだ・せいこ)

1962年3月10日生まれ。福岡県出身。78年「ミス・セブンティーンコンテスト」の九州地区大会で優勝し、翌年にデビュー。90年には全米進出も果たし、早くから海外での活動も行っている。また、女優としても積極的に活動しており、2004年に主演したドラマ『たったひとつのたからもの』(日本テレビ系)は、高視聴率を記録した。