八代亜紀さん(C)週刊実話Web 
2023年12月30日に73歳で亡くなった八代亜紀さん。1971年にデビューし、2年後には『なみだ恋』で紅白歌合戦に初出場。『雨の慕情』や『舟唄』といったヒット曲を連発し、〝演歌の女王〟となるまでの彼女には「2人の男」の存在が不可欠だった。当時の八代さんの熱愛を追った『週刊実話』の記事を再構成してお届けする。【昭和57年1月7・14日号掲載 年齢・肩書等は当時のまま】
亜紀は世田谷区野毛に、いま買えば一億円はする新居を(昭和)五十三年に手に入れた。彼女の両親も、当然のことながら同居している。
八代亜紀さん(C)週刊実話Web  2023年12月30日に73歳で亡くなった八代亜紀さん。1971年にデビューし、2年後には『なみだ恋』で紅白歌合戦に初出場。『雨の慕情』や『舟唄』といったヒット曲を連発し、〝演歌の女王〟となるまでの彼女には「2人の男」の存在が不可欠だった。当時の八代さんの熱愛を追った『週刊実話』の記事を再構成してお届けする。【昭和57年1月7・14日号掲載 年齢・肩書等は当時のまま】 亜紀は世田谷区野毛に、いま買えば一億円はする新居を(昭和)五十三年に手に入れた。彼女の両親も、当然のことながら同居している。

八代亜紀さんの知られざる熱愛秘話③両親も認めた“不倫同棲”【週刊実話お宝記事発掘】

N氏は、遠慮なくそこも訪れた。数日帰らぬことも珍しくはない。


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これは、なにを意味しているか。ふたりの愛を、両親も認めているということだ。


父親も、こう言っていると聞く。


「亜紀が今日あるのは、あのかたのおかげ。妻子がいるとは知っているが、恩人だし、亜紀が好きだという以上、むげにはできませんよ。いや最大級のもてなしをするのが、娘の父親として当然ではないんですか。ふたりが結婚したいといえば認めてやる以外にないでしょうね」


事実、N氏は妻子が待つ東京・三鷹の自宅にはめったに帰っていない。帰るのは、亜紀が巡業で地方へ出かけているときぐらいだった。

「女房とは決して別れません」

だが、N氏の夫人はきっぱりとこう言うのだ。


「亜紀さんと主人の噂は存じております。否定はしません。深い仲であることを、わざわざ知らせてくださるかたもおりますから…。でも、私は離婚なんて考えたことはないし、主人からそのことを持ち出されても、応じるつもりは全くないんですよ」


N氏も、「女房とは決して別れません。三十年近く、信じ合って、ここまできたんですからね。長女もいまは適齢期だし、別れる理由もないんです」と合わせていた。


それも当然のことだ。


亜紀は〝演歌の女王〟になったことによって、ステージでの日だてギャラは五木ひろしに次ぐ四百五十万円にまでハネ上がっている。


しかも、それでも引く手あまたの状態だ。企画しだいでは、テイチクを離れてもヒット曲が出る可能性を十分に持ち合わせている。


それなのに、ファンを敵にまわすとも限らない妻子を捨てての結婚に、N氏が応じるはずがないと思えるのだ。


亜紀もそんなことは十分に承知のはずである。


だから「結婚ということにはこだわらない、同棲で十分だと思っているんですよ」と言ったに違いない。


『八代亜紀さんの知られざる熱愛秘話④五木ひろしとの“銀座の恋”が再燃』を読む