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田中角栄の事件史外伝『兵隊やくざ――“田中政治の原点”型破り戦場秘話』Part7~政治評論家・小林吉弥

田中角栄の事件史外伝『兵隊やくざ――“田中政治の原点”型破り戦場秘話』Part7~政治評論家・小林吉弥 
衆議院議員、自民党、首相=1973(昭和48)年8月5日撮影(C)共同通信社

夜中に上官に隠れて仲間と酒盛りはやる、応召前に付き合っていた女性からはしょっちゅうラブレターは来る、立哨はさぼるなど、とても模範兵とは言えなかった田中角栄だったが、いつしか第一中隊の中では部隊運営の有用な一員となっていた。

応召前の20代を前にして、建築、機械などの設計事業に成功、さらに満州に来てからも早稲田大学の建築講義録を手放さずの勉強家でもあった田中は、中隊の厩づくりに知恵を出し、触ったこともなかった大型軍用トラックを「よっしゃ、俺がやってみるッ」で動かしてみせるなど、連隊長、中隊長らの覚えはめでたくなっていたのである。その白眉と言えたのが、「初年兵教育計画書」作りであった。

これは連隊本部から第一中隊本部に「こんな杜撰なものでは上(旅団本部や司令部)には出せない。即刻作り直せ! 提出期限まで2日」と、突き返されてきたシロモノだった。わずか2日の間に代案を作り、上が見ても一目瞭然で分かるよう方眼紙にキチンと清書して提出する必要があった。

そうした中で焦った中隊長が、片岡甚松見習士官の推薦もあり、「あの男ならやれるかもしれん」と白羽の矢を立てたのが田中角栄上等兵だった。

事務処理能力の高さ、字を書かせても極めて達筆、切羽詰まっている中隊長は「貴様の仕事のしやすいように、上官といえども指示していい」とまで言って、計画書の作り直しを田中に命じたのであった。

中隊長の〝お墨付き〟を得た田中は度胸満点、常日頃は新兵をいびっていた古参下士官をアゴで使ってみせた。馬弓良彦著『戦場の田中角栄』(毎日ワンズ)によれば、それは次のような〝光景〟だったという。

気合付けのコップ酒まで許された田中角栄

「曹長、そこにあるピンを持って俺のそばまで来てくれ」「軍曹、エンピツと定規を取ってくれ」など、上官たちはシブイ顔をしながらも田中の〝命令〟に従ったのだった。

こうして、夜間の底冷えの中、田中は赤々と燃えるストーブの前で軍服を脱いで上半身裸、畳一枚くらいの訓練科目表を次々と清書していったのである。

田中の仕事ぶりを見守っていた中隊長は、「よし、これで命令通り今日中に上に提出できる」と安堵、当番兵にこう言ったのだった。

「おい、1升瓶とコップを持って来いッ」

田中に、気合付けのコップ酒まで許したのである。コップ酒をグイとあおった田中はさらに清書に拍車をかけ、計画書は北満州のツンドラ原野の夜が白々と明ける頃、ついに完成した。

田中に任せてみてはと推薦した片岡見習士官は、計画書を持った中隊の早馬の伝令が連隊本部へ急ぐ姿を見送ると、ホッとした表情を浮かべ、傍らの田中に視線を落としながら問わず語りにこう言ったのだった。

「この男は兵隊としてはなっていないが、たいへんな男かもしれんな」

一方、田中がただ者でなかったという、こんなエピソードもある。

当時の軍隊では、週に一度、中隊長による「精神訓話」があった。それに対する聞く側の兵隊の質問も許されたが、余計なことを言ってにらまれたくないという気持ちが働くのか、多くの兵隊は質問をすることができなかった。

ところが、田中のみは違っていた。政治的な質問もズケズケとしたのである。前出『戦場の田中角栄』には、こんな話が出てくる。

「東條英機陸相」への危惧

昭和15(1940)年7月に第2次近衛文麿内閣が成立、陸軍大臣に東條英機が就任した。中隊長の訓話が閣僚の顔ぶれに触れ、「陸相に東條」を明かすと、田中がそばにいる仲間の1人に「東條陸相か…。これで日本の情勢は変わるな」と、舌打ちするように呟いたというのである。

当時、東條は陸軍の主戦派として知られていた。満州事変後、関東軍の憲兵隊司令官、参謀長などを歴任、カミソリのような事務処理能力を持つ典型的な軍部官僚であった。

その後の昭和16年10月には東條内閣を発足させたうえで、勝利の見込みなき太平洋戦争への深みへ突き進み、結局は日本を惨禍へと突き落とす役割を演じた。戦後の「東京軍事裁判」でA級戦犯となり、処刑された人物である。

先の田中の呟きは、一兵隊であったにもかかわらず、すでに国内外の社会情勢、政権内部の主要人物についての情報に極めて敏感であったことを示している。と同時に、東條が陸相から首相となったことで、結果的には田中の〝予感〟が的中したことになるのである。

そうしたさなか、突然、田中は早朝の営庭でぶっ倒れた。昭和15年11月末、北満州の厳しい冬は早かった。凍てついたツンドラ原野で、軍馬が疝痛(便秘などによる発作的な激しい腹痛)を起こし、次々と死んでいく光景の中である。

田中は営庭にぶっ倒れたまま、担架でテント張りの野戦病院に入院させられた。診断の結果はクルップス肺炎、右乾性胸膜炎を併発しており、すでに重篤ということであった。

この病いを機に、田中の運命は大きく変わることになる。

(本文中敬称略/Part8に続く)

【小林吉弥】=早大卒。永田町取材50年のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『高度経済成長に挑んだ男たち』(ビジネス社)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。最新刊に『新・田中角栄名語録』(プレジデント社)がある。