西川きよし師匠と生まれて初めての寿司屋~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

デビュー当時、俺がまだ20代前半だった1970年代の『なんばグランド花月』には、7~8畳の楽屋が5つくらいと風呂があったんです。出番を終えた師匠たちが入った後に俺らも「入りい」と促され、浴びることもありましたよ。 また、楽屋だと食事が出前ばかりで飽きるから、夫婦漫才の師匠たちの中には、自宅からおかずを持参して、楽屋に電気釜を持ち込み、米を炊いて食べている方もいましたね。余ったご飯で塩むすびを作って、若手の俺らにタクアンを付けて振る舞ってくれました。飯食って、風呂入って、まるで住んでいる...