「神経が図太い男でありました」妻が垣間見た左遷、暗殺未遂すらものともしなかった佐藤栄作総理の“強運”と“孤独”

[佐藤栄作(首相官邸HPより)]どんなに窮地に立たされても愚痴は口にせず、筋を通す重量感あふれる総理大臣だった佐藤栄作は、東大を卒業すると鉄道省に勤めた。 それから間もなくの大正15(1926)年、寛子と結婚している。 寛子の伯父は戦前の外務大臣として高名だった松岡洋右であり、この松岡から「栄作君は将来、総理大臣になる人物」とすすめられての結婚だった。 【関連】「黙々栄作」と呼ばれた佐藤栄作の意外な素顔 妻が語った“もう一つの顔”「男なら手を出す遊びはひと通りやっておった男なん...