渡哲也「人工肛門」「酸素吸入器」でも被災地ボランティアを続けた“タフガイ”【著名人の壮絶な闘病8】

空手二段の日活アクションスターとして1965年に銀幕デビュー。会見でいきなり瓦5枚を割り、「第二の石原裕次郎」のキャッチフレーズで売り出されたタフガイだ。 【関連】「つらい。もう、逝かせてくれ」坂本龍一さんが残した言葉が物語るガン治療の苦痛【著名人の壮絶な闘病1】 ほか しかし、74年には大河ドラマ『勝海舟』の主役になったが、肋膜炎で降板。肝機能不全なども併発して9カ月の長期入院を余儀なくされた。 翌年にも、映画『仁義なき墓場』の撮影中に体調を崩し、東大病院に5カ月入院。当初は...