『性産業“裏”偉人伝』第5回/元人気AV女優~ノンフィクションライター・八木澤高明
都内の喫茶店で、私は小柄でほっそりとした40代の女性に話を聞いていた。
彼女の名は、栞。これまで20年近くをAVや風俗業界で生きてきた、今も現役の風俗嬢である。
私はこれまで25年近く、性産業に生きる女性たちを取材してきた。そうした女性たちの中には、風俗嬢であるというオーラを放っている者が少なくなかった。
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しかし、栞からはそうしたオーラは感じられず、市井に溶け込んでいるような素朴さがあった。口ぶりも淡々としていて、女性ながらどこか仙人のような落ち着いた様子で自身のことを語ってくれた。
派手さを感じさせない雰囲気とは裏腹に、彼女は競争の激しいAV業界で、トップ集団にいたことがあった。そこで経験したことを今回語ってもらった。
栞がAV業界に入ったのは、ちょうど20歳の頃、都内でスカウトされたことがきっかけだった。
「いきなりスカウトの人に『人生変えてみませんか』って、声を掛けられたんです。ちょうど何か仕事しなきゃいけないなと思っていたときだったんで、私にぴったりの言葉だったんです。その頃、付き合っている人がいたんですけど、彼に依存しちゃって、何もしてなかったんです」
栞は10代の頃から、キャバクラなどで働き、毎月100万円は稼いでいたという。金銭的にも、彼氏に依存する生活というのが苦痛になっていた。
「キャバクラで働いたときは、家族を助けるためということもあって、30万円は家に入れていたんです。手元に残ったお金でも、普通の仕事をしていたら稼げないような額だったんで、同じくらい稼げる仕事にしか興味が湧かなくて、AVに出演するのもいいかなと考えていたんです」
AVへの出演を漠然と考えていたのではなく、自分自身でメーカーのことを調べ、自分に合うメーカーに目星をつけていたという。まったくの偶然だが、そのスカウトマンは、出演してもいいと思っていたメーカーを案内してきた。
条件は、1本の出演料が120万円。今から20年ほど前のことだった。
この業界でやり残しはない
栞は、俗にいう「単体女優」という存在だった。AV女優には大まかに分けて、「単体女優」と「企画女優」の2つの女優が存在する。確かな統計があるわけではないが、年間約6000人がデビューするなかで、そのうちの200人ほどが単体女優に当たる。大多数の企画女優は、企画ごとに事務所と契約を交わし、出演料も単体女優に比べると格段に安い存在である。
栞が単体女優となれたのは、ルックスやスタイルが契約した事務所の要求するレベルにあったからだった。
AV業界での日々は、満たされたものだったという。
「現場ではお姫様のように扱ってもらえますし、ロケに行ったりして、本当に楽しかったです。最低でも3日はかけて、じっくり撮影もしていたので、肉体的にも精神的にもつらいと思ったことはなかったですね」
出演していた作品というのは、業界に入る前に望んでいたものでもあり、何もかもが順風満帆だった。
「単体女優として出演している女の子は、売り上げの順位というものをすごく気にしていました。自分への評価だから、それだけを心の支えにしているといっても過言じゃないんですね。私も、納得できる順位を取れたから、精神的に満たされていたんだと思います」
売り上げはAV女優の精神安定剤であるとともに、業界における自身の評価でもある。単体女優としてデビューしても、売り上げが悪ければ、その地位はいつまでも安泰ではないのだ。
しかし、同じような雰囲気の作品に出続けていれば、いつしか売り上げも鈍ってくる。ちょうど3年が過ぎた頃、自分が望まない作品への出演も増えてきた。
「私の中では、ブッカケはNGだったんです。最初は出演することはなかったんですが、売り上げが落ちてきたら、出なければならなくなったんです」
ブッカケものへの出演は、これまで楽しかったAVへの出演をつらいと感じさせる転機となった。さらに、望まない作品にもかかわらず、ギャラも1本30万円ほどにまで落ち込んだ。
単体女優でありながら、名前では客を以前のように呼べない。つまり、企画ありきの単体女優という存在になってしまったのだ。
「自分の中で天下を取ったという気持ちもありましたし、もうこの業界でやることはないなという気になりましたね」
引退のきっかけは、3時間にわたり男優に精子をかけられ続けたことだった。
「作品の中では『もっとかけて』とか言っていましたが、本当に嫌でした。髪の毛に絡まって、落とすのに3時間ぐらいかかりましたね。それで辞めようと決心しました」
プロ意識でなんとか仕事をこなしたものの、踏ん切りがついた。
AV引退後は、風俗業界に身を置きながら、現在に至る。
AV女優だった時代は、遠い過去になりつつある。
「若いときに世の中の厳しさを知ったのが、いい経験になりましたね。天国から地獄と言ったら大げさですが、いい思いもつらい思いもしたので、常に自分を磨いて感謝する気持ちを学びました」
AV時代の経験から、彼女は学び、どこか達観したような空気を生み出しているに違いない。
八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 神奈川県横浜市出身。写真週刊誌勤務を経てフリーに。『マオキッズ毛沢東のこどもたちを巡る旅』で第19回 小学館ノンフィクション大賞の優秀賞を受賞。著書多数。
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