木村徹二 (C)週刊実話Web
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『令和の“応演歌”』木村徹二~兄に誘われポップスデュオを結成(前編)

――昨年11月、シングル『二代目』で演歌歌手としてソロデビューされました。しかも、鳥羽一郎さんの息子さんということで話題になっています。やはり、幼い頃から身近に演歌や歌謡曲があったのでしょうか?


木村 テレビ番組で父が歌っている姿は家で流れていましたね。ただ、両親から聴きなさいと言われていたというよりは、自発的に演歌や歌謡曲を聴いていたようです。もちろん、環境的に演歌が身近にはありましたが、もともと好きだったようなんです。


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中学に入ると、当時流行っていたEXILEさんやORANGE RANGEさんなどの曲と演歌や歌謡曲が一緒のプレイリストに入っていましたね。


――歌が得意だと意識したのはいつ頃からですか?


木村 それが幼い頃は特に得意という意識はなかったんですよ。中学に入り、友達とカラオケに行った際に、少し歌えるのかなという程度です。なので特別、歌手を目指していたわけではないんです。


――それが歌手を目指すようになったきっかけとは?


木村 歌はずっと好きで、それこそ15歳のときに、後援会開催の父の誕生日イベントで初めて人前で父の曲『カサブランカ・グッバイ』を披露したんです。でも、特別に音楽活動をしていなくて。大学を卒業する頃に、17歳で歌手デビューしていた兄に誘われ『竜徹日記』というポップスデュオを結成しました。

仮歌でソロデビューが決定

――兄弟でグループを組むことに抵抗はなかったんですか?

木村 幼いときは特段、仲が良かったわけではないんです。でも、15~16歳の頃から遊びに行ったりするようになりましたね。よく兄弟でデュオを組んでいることを聞かれるんですが、父と叔父の山川豊さんも仲が良いですし、母方も兄弟が3人いるのですが、みんな仲が良い。幼い頃から「兄弟で仲が悪いのが一番良くない」と両親の教えがあったので、なんの抵抗もなかったんです。


――『竜徹日記』はポップスデュオです。ポップスから演歌歌手としてソロデビューした経緯とは?


木村 『竜徹日記』では、兄が作曲、僕が作詞を担当しています。兄はいろんな歌手の方に楽曲提供をしていて、僕自身も徐々に作詞を担当させてもらい力を入れていこうという時期に、兄の曲に僕が仮歌を入れていたんです。それを聴いたレコード会社の方に気に入っていただけたようで、レコード会社の会議でデビューが決定しました。


ただ、僕はその間、ソロデビューの話を全く聞かされていなかったんです。決まってから知らされて。せっかくのことですし、僕の歌声で喜んでくれる方がいるならと、デビューを決意しました。


兄と妹がいるのですが、父は子供の頃から僕に対してだけ「演歌を歌ったら良いんじゃないか」とよく勧めたんです。ただ、なぜそう言われるのかが理解できなかったんです。のちに聞いたところでは、コブシが回りやすい声質だと説明されたんですが、父の前でコブシを回したことはないんです(笑)。やはり、長年歌の世界で活躍してきたからこその先見の明があったのかもしれませんね。


(以下、後編へ続く)
きむら・てつじ 1991年7月、東京都生まれ、横浜育ち。鳥羽一郎の次男。実兄の竜蔵とポップスデュオ『竜徹日記』を結成。2022年11月『二代目』でソロデビュー。大柄な体格を生かした声量が特徴。