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蝶野正洋『黒の履歴書』〜昭和・平成のプロレスにひと区切り

蝶野正洋
蝶野正洋 (C)週刊実話Web

コロナ対策もようやく緩和され、スポーツ観戦も以前のようなスタイルを取り戻しつつある。とはいえプロレス界は、2月に東京ドームで行われた武藤敬司引退興行の余韻が、まだ続いている感じだね。

武藤さんと俺が対戦した〝ボーナストラック〟は、俺の周りの同世代の人たちや、平成プロレスのファンたちから「感動して泣いた」という声をたくさんもらった。だけどあれは完全なサプライズだったから、俺としては複雑な部分もある。

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今回は、たまたまウチの子供たちもドームに呼んでいたから、久々にリングでの俺の姿を見てくれた。たぶん、2009年に両国国技館で開催した俺の25周年大会のとき以来だったと思う。

でも家に帰ってきたら、子供たちから特にコメントはなかった(笑)。やっぱり普段は杖をついて歩いてる姿をずっと見てるから、印象は変わらないみたいだね。

観客動員も3万人を超えて歴史に残るような大会になったけど、東京ドームで引退興行を打てるプロレスラーというのは、武藤さんが最後になるかもしれない。

今回の大会の総合プロデューサー的な役回りを担っていたのは、プロレスリング・ノアの武田有弘さんだと思うけど、彼だからこそ実現できたと思う。

武田さんは新日本プロレスの営業出身で、武藤さんとは全日本プロレスやレッスルワンでも関わっている。最後はノアという舞台で武藤さんの引退が決まると、武田さんはすぐ東京ドームを押さえたという。取りあえず会場を確保してから考える、というのは昔の新日本プロレスのスタイルだね。

すべてのファンにはまだ届いていない

俺のところにも「解説をお願いしたいからスケジュールを空けておいてくれ」と連絡がきた。それで開催の半年前に設けられた記者会見に呼ばれて、普通に記者の質問に答えてたら、武藤さんがいきなり「蝶野とやりたい」とか言い出した。

記事のネタづくりなんだろうけど、俺はここでヘタなコメントをしたら大変なことになるなと思って武田さんのほうを見たら、下向いて目を合わせないんだよ。

引退試合のサプライズもそうだけど、武田さんも武藤さんも、いつから何を想定していたのか分からない。だけど身内に対しても平気で仕掛けてくる連中だということは、よく分かったよ。

大きな反響を呼んだ武藤さん引退興行だけど、冷静に見回すと、まだすべてのファンには届いてないような気もする。かつてプロレスを見てくれていた層を呼び戻すまでには至ってない。

これは世代的な問題もあると思う。昭和の頃のプロレスはテレビや雑誌、スポーツ新聞などで情報が伝わっていたけど、いまはネットが中心。今回の引退試合中継は、ネット放送局の『ABEMA』で行われたけど、視聴方法が分からない年配層もまだまだたくさんいた。

情報の伝え方というのも、これからのプロレスラーたちが考えなきゃいけない課題だと思う。いくらすごい試合をしても、気づいてもらえなかったら意味がない。

3月7日に両国国技館でアントニオ猪木さんのお別れ会が開催された。それに武藤敬司の引退を重ねると、昭和、平成のプロレスにひと区切りついた感もある。

逆に言えば、いま現役のレスラーたちはここがチャンス。新たなファンを増やして、令和のプロレス界を盛り上げていってほしいね。

蝶野正洋
1963年シアトル生まれ。1984年に新日本プロレスに入団。トップレスラーとして活躍し、2010年に退団。現在はリング以外にもテレビ、イベントなど、多方面で活躍。『ガキの使い大晦日スペシャル』では欠かせない存在。

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