蝶野正洋 (C)週刊実話Web
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蝶野正洋『黒の履歴書』〜「武藤敬司引退試合」限界ギリギリだった“奇跡の1分37秒”

2月21日、東京ドームで行われた「武藤敬司引退試合」。そもそも俺は実況解説として呼ばれていたんだけど、事前に請け負っていた大役が二つあった。一つは、東京ドームの長い花道を歩いてリングに入場すること。


ご存知の通り、俺は脊柱管狭窄症の手術をしてからまだ完全に回復していない。普段は杖をついて歩いているが、この日はせめて背筋を伸ばして歩きたいと数週間前から治療プランを考え、前日には痛み止めの注射を打って備えていた。だから「久しぶりの東京ドームの花道、どうでしたか?」と聞かれるけど、こっちは歩くだけで必死で風景や歓声を味わう余裕はなかったね。


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そしてもう一つの大役は、リング上から武藤さんへのメッセージを送ること。これも1カ月くらい前に運営側から頼まれていて、それからずっとどんな事を言おうか、夜も眠れないくらい考え続けていた。


それが、当日の入場1時間前くらいにスタッフが「蝶野さん、挨拶は簡単でいいですから」と言ってきた。ちょっと慌てたけど、それまで考えていたメッセージを捨てて、ほぼアドリブで挨拶をさせてもらった。


これでようやく肩の荷が下りて、俺は解説席から武藤さんの最後の勇姿をじっくりと観戦させてもらった。


試合後、リング上の武藤さんが急に「蝶野! 俺と戦え!」と言い出した。俺は解説席で固まったよ。


ここだけで明かす話だけど、以前に武藤さんと仕事で会ったときに引退試合の話になって、「俺がもし関われるとしたら、オペラでいうカーテンコールみたいな形かな」と言ったことがある。そのときに武藤さんはピンときたのかもしれない。ただ、俺が思ってたのは、最後にみんなでリングに上がってポーズを決めるようなイメージだった。

ギリギリ奇跡の1分37秒

それがいきなり試合をしろというんだから無茶だよ。意を決して立ち上がり、隣に座っていた解説役の辻よしなりアナウンサーに実況を頼んだ。リングサイドで観戦していた長州さんと藤波さんが大笑いしてたから、一緒にリングに上げてやろうかなと思ったよ(笑)。

リングに立つと、レフェリーを任されたタイガー服部さんがいる。服部さんも脊柱管狭窄症の手術をしてるから、自分以上に心配だったよ。


ゴングが鳴って、試合が始まっても不安しかなかった。リングを歩くだけで膝が痛い。ロックアップして踏み込んでも、左脚に力が入らない。俺は昔から試合するときは膝をガチガチにテーピングしてたけど、今回はそんな準備もしてない。下手したら、膝の靭帯が切れるかもと覚悟した。


シャイニングケンカキックはなんとか出来て、STFを仕掛けたんだけど、俺の膝のほうが外れそうだった。ここで武藤さんがタップ。試合時間は1分37秒だったけど、あれ以上のことはできなかったと断言できるほどギリギリだった。


結果的に感動的なフィナーレになったけど、あれはもう奇跡でしかない。リング上で動けなくなったり、花道を歩いて帰れない可能性のほうが高かったと思う。


でも、そんなマイナス面を考えないで、いきなり仕掛けてくる武藤さんはすごいよね。無責任で(笑)。


俺たちのプロレスは、いつも突発的で、危ない橋を渡ってきたようなものだったなと再確認したよ。
蝶野正洋 1963年シアトル生まれ。1984年に新日本プロレスに入団。トップレスラーとして活躍し、2010年に退団。現在はリング以外にもテレビ、イベントなど、多方面で活躍。『ガキの使い大晦日スペシャル』では欠かせない存在。